映画全盛期、県内では映画ロケが頻繁に行われました。フィルムに残る風景を求めてロケ地の今を歩きます。
※大分合同新聞 夕刊文化面 2008年5月29日~2018年3月30日掲載
映画産業が盛んになった1950年ごろから別府やくじゅう山系一帯をはじめ大分県内では頻繁に映画ロケが行われた。名監督、有名スターが訪れ数々の名作、傑作が生まれた。フィルムに残る昔の風景を求めてロケ地の今を歩く。 松竹映画「張込み」(...
映画全盛期、県内では映画ロケが頻繁に行われました。フィルムに残る風景を求めてロケ地の今を歩きます。 太平洋戦争末期の沖縄戦を描く大蔵映画「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(1962年公開)のロケが47年前、由布市湯布院町周辺であった。総勢...
半世紀前の日本シリーズで、西鉄ライオンズは巨人に3連敗した後、稲尾和久投手が4連投4連勝、第5戦ではサヨナラ本塁打を放つという大車輪の活躍で3連覇を達成した。“神さま、仏さま、稲尾さま”の流行語まで生まれた稲尾投手を主人公にした東宝映画「...
1953年春に開園した大分市「高崎山自然動物園」誕生を題材にした映画「ただいま零匹」は、57年秋、全国で封切られた。公開を機に国内初の自然動物園には多くの観光客が集まり、一躍有名観光地になった。ロケは同年8月上旬、メーンの高崎山や旧大分市...
日活ニューアクションのヒーロー、マイトガイこと小林旭主演の映画「高原児」は、1961年7月14日から25日までの12日間にわたり、久住町の久住高原一帯と別府、大分市でロケをした。メーンの久住町にはオープンセットを組み、雄大なくじゅう連山と...
「ある兵士の賭け」は1960年にアメリカ軍の将兵が別府市の児童養護施設「白菊寮(現・光の園)」の建設資金を賭けて、神奈川県座間からの1322キロを2週間で歩き通すという実話を映画化。ロケは70年2月4日~20日と3月22日~29日の2回、...
仕事と浮気が同時進行の森繁久弥社長と謹厳実直な加東大介重役、「パーッといきましょう」が合言葉の三木のり平宴会部長、まじめな部下の小林桂樹、怪しい日系人役のフランキー堺―といった芸達者な昭和の名優たちが出演する東宝の喜劇・社長シリーズ。全3...
ホーバーも登場 渥美清主演・男はつらいよのシリーズ中、別府市や由布市湯平温泉、杵築市などでロケをした第30作「花も嵐も寅次郎」(1982年)と日田市がメーン舞台になった第43作「寅次郎の休日」(90年)はよく知られている。だが、第12作...
最初は北海道予定 今年は世界の巨匠、黒沢明監督の生誕100年に当たる。黒沢監督後期の代表作「乱」(1985年公開)は、84年の7月中旬から九重町飯田高原と由布市庄内町で3カ月近い長期ロケを敢行した。黒沢監督以下145人のスタッフと180...
緒形拳が日本犯罪史上に残る凶悪犯人を演じた「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」は、名匠今村昌平監督が10年ぶりにメガホンを取った渾身(こんしん)の力作。実際に殺人があった福岡県の苅田町や香春町の現場でロケをするなど、リアルな映像を追い求め...
滝廉太郎の没後55年に製作した「荒城の月」は、シナリオ作家の猪俣勝人が1957年に旗揚げした独立プロ「シナリオ文芸協会」の第2作。猪俣は製作と脚本、初の監督にも挑んだ。松竹の二枚目スター石浜朗(現日本映画俳優協会理事長)が滝廉太郎を演じ、...
反骨のルポライター・評論家の竹中労が製作、脚本も書いた。共同脚本は佐々木守。監督は東映やくざ映画の傑作で知られる「博奕(ばくち)打ち 総長賭博」や「緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)」などの山下耕作。製作に若松孝二、助監督に崔洋一といった現在も...
別府市出身の若杉光夫監督がメガホンを取り、寺尾聡が主演した幻想的な音楽映画「星の牧場」のロケは1985年10月初旬、九重町と玖珠町であった。ロケ隊は9月末に熊本県の菊池渓谷でロケ後大分入りし、1週間ほど滞在。寺尾と共演の檀ふみ、南田洋子、...
映画「国東物語」は戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟の青年時代を描いた本格時代劇。総製作費は3億円。県と県教委、県芸術文化振興会議、県観光協会、関係各市町、国東半島六郷満山の天台宗寺院、柞原八幡宮などが協力。衣装はトキハデパート、約100...
大分合同新聞が四半世紀以上も前に、創刊100周年記念で製作した映画「国東物語」(村野鐡太郎監督、主演・隆大介)。スタッフが名場面を求めて綿密にロケハン。撮影も1983年秋に1カ月半、翌年2月に約2週間と長期にわたったせいか、県内ロケ地は思...
今秋公開した「あなたへ」(降旗康男監督)で老境に差し掛かった男の悲哀を画面いっぱいに漂わせていた高倉健(81)。半世紀ほど昔、その高倉健が東映の二枚目スターだったころ、主演と準主演作品で3度来県、大分・別府市内でロケをしていた。 高倉...
ムツゴロウ動物王国で知られる作家の畑正憲(1935~)は福岡市で生まれ、幼年時代を中国東北部で暮らした後、戦中、戦後は父親の郷里日田市で過ごした。その彼が大学生となって上京。郷里で暮らす恋人との遠距離恋愛から一時同居と別離を経た後、結婚し...
東映の看板スターだった三田佳子が熟女の色香を漂わせる恋愛映画「別れぬ理由」(降旗康男監督)のロケが、1987年7月13日から3日間、由布市湯布院町であり、三田と長身のイケメン俳優、古尾谷雅人が金鱗湖畔でお忍びの逢瀬(おうせ)を演じた。 ...
宝塚出身で松竹の看板女優有馬稲子と二枚目俳優の高橋貞二のコンビが映画「危険旅行」のロケのため1959年6月14日午後、関西汽船のにしき丸で別府入りした。桟橋には“ひと目見たさ”のファン約2千人がひしめき、整理のお巡りさんは汗びっしょりだっ...
東京オリンピックが開催された1964年。くじゅう山系の硫黄山で東映の時代劇映画「新吾番外勝負」のロケがあった。主演は看板スター大川橋蔵。ヒットシリーズ「新吾十番勝負」の続々編で、大川は演技的にも新生面に挑み、メーンの決闘の舞台として荒涼と...
1982年暮れ公開の「男はつらいよ」シリーズ第30作「花も嵐も寅次郎」はマドンナに田中裕子、ゲストに歌手で俳優の沢田研二を迎え、恋愛経験豊富(?)な寅さんこと渥美清が若い2人の仲を取り持つという異色作。そのメーンロケ地に大分県が選ばれた。...
渥美清主演の映画「男はつらいよ」シリーズ30本目の記念作“花も嵐も寅次郎”は、1982年の秋から冬にかけて大分県内各地でロケがあった。 ■「砂湯で話し込む」 大分ロケの場面は開始19分ごろから始まる。いきなり目に飛び込んでくるのが別...
松竹伝統の喜劇作品を数多く手掛けた前田陽一監督(1934~98)の代表作の一つで、桃井かおりと渡瀬恒彦が主演した「神様のくれた赤ん坊」のロケが79年3月初旬、中津市などであった。 ■寅さん差し置いて 本作は、同年暮れに公開された正月...
「幕末太陽伝」(1957年)「しとやかな獣」(62年)などの名作を残し、45歳で早世した鬼才・川島雄三監督(1918~63)が製作した「貸間あり」で、短いシーンだが別府の象徴的な場面が映し出されている。 ■コミカルな群像劇 「貸間あ...
太平洋戦争の末期、横浜から大分市に疎開してきた少女ムッちゃん。その小さな体は肺結核に侵されており、隔離された防空壕(ごう)内で独り寂しく12歳の短い命を終える―。戦争の悲惨さを静かに訴える映画「ムッちゃんの詩」(堀川弘通監督)は、実際に壕...
社会派推理物から犯罪ミステリー、古代・近代・現代史に基づいた小説、美術論までと幅広いジャンルの作品を世に送り出した作家・松本清張。その彼が週刊「女性自身」誌上で1961年から1年にわたって連載したロマンチックな長編小説「風の視線」を松竹が...
「キネマ旬報」の2000年度日本映画ベスト・テン1位、同読者選出1位を獲得。日本アカデミー賞をはじめ、各邦画賞の最優秀作品賞や監督賞、脚本賞、主演女優賞、助演男女優賞など部門賞を総なめにした映画「顔」。後半1時間超の舞台は別府市と姫島村。...
大分に縁の深い音楽家、滝廉太郎の没後90年を記念して製作された東映映画「わが愛の譜(うた) 滝廉太郎物語」。「荒城の月」「花」「憾(うらみ)」などを作曲し、23歳で病死した滝廉太郎の短い生涯を映像化した。1993年5月、少年時代を過ごした...
角川映画創立15周年記念の「天と地と」(角川春樹監督)は戦国武将の上杉謙信と武田信玄の川中島決戦を描いた超大作。鎧(よろい)と兜(かぶと)、旗などが黒一色の上杉軍に対し、武田軍は赤色で色分け。バブル景気に沸く最中に長期海外ロケを敢行するな...
国民的映画「男はつらいよ」シリーズの第43作「寅次郎の休日」は、日田市が市制50周年の記念イベントとしてロケを誘致。山田洋次監督と主演の渥美清らスタッフとキャストが1990年11月4日から11日まで、水郷日田の各地で撮影。ロケ隊は天ケ瀬温...
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