2019年4月末で「平成」が終わる。この30年は大分県にとってどのような時代だったのか。年間企画でひもといていく。
※大分合同新聞 朝刊1面・地域面 2018(平成30)年1月1日~2019(令和元)年4月29日掲載
「神風」が吹こうとしていた。16年前の平成14(2002)5月23日である。 午後11時40分。福岡国際空港に降り立つカメルーン代表チームのチャーター機を、中津江村長の坂本休(87)は万感の思いで見詰めた。 「ようやく村民に安心して...
グリーンツーリズム(GT)って何だ? 聞き慣れない横文字に親しみを持たせ、ムラおこしに新しい風を吹き込んだのは宇佐市安心院町の農家たちである。 同町下毛のブドウ農家宮田静一(68)は平成5(1993)年から町内の仲間や県職員と勉強会を...
城下町の風情を残す臼杵市二王座の通りに、竹ぼんぼりがともった。石畳の道が優しい光に揺らめく。 時は平成9(1997)年11月2日。「自分たちの街はこんなにきれいだったのか」。見慣れた風景が一変した。 竹とろうそくでまち並みを彩る祭...
人だかりができた。精肉店、アイスキャンデー屋、薬局、餅屋……。 豊後高田市中心部の中央通りで「昭和の町」のオープニングセレモニーが開かれたのは、平成13(2001)年の9月10日だった。 構想から足かけ9年。拍手の中、レトロな趣の...
「ワークシェアリングは村の基本施策だ」 東国東郡4町1村による法定合併協議会の席上、姫島村長の藤本昭夫(74)は協議会からの離脱を表明した。平成17(2005)年1月21日。「村」として生き抜く覚悟を示した。 職員1人当たりの給与...
「ゆふいん」は国内のトップブランドとして平成の時代を走ってきた。 その礎には、平成2(1990)年9月5日に施行された「潤いのある町づくり条例」がある。官民が協力して乱開発に歯止めをかけ、由布市湯布院町ののどかな自然環境を守り抜いてき...
秋晴れが広がった。穏やかに風が舞い、人波の歓声が谷あいに溶けていく。 長さ390m、高さ173m。名勝「震動の滝」を望む九重町田野の鳴子川渓谷に、日本一の人道専用橋ができたのは平成18(2006)年10月30日である。 人口約1万...
平成18(2006)年1月19日。「再考」を求める7万925人分の署名が別府市役所に積み上がった。 楠港跡地(楠町)への商業施設誘致は是か、非か。国際観光都市の中心市街地活性化につながるのか。 論争は湯の街を二分し、熱い温泉のよう...
空き校舎が鼓動を始めた。 平成26(2014)年4月17日。竹田市植木の旧竹田中学校跡は、工芸家や芸術家らの移住を促す創作拠点に生まれ変わった。 市が開設した「竹田総合学院」。各教室を工房にした初代メンバー5人の中に、国内外で脚光...
県南の歴史を変える調印を、知事就任4カ月の広瀬勝貞(75)も見届けた。 佐伯市、上浦町、弥生町、本匠村、宇目町、直川村、鶴見町、米水津村、蒲江町。 せみ時雨が降り注ぐ平成15(2003)年8月31日、9市町村の首長がそれぞれ合併協...
「そこだけ別世界みたいだった」。旧上津江村の元村長、井上伸史(71)=県議会議長=は28年前の熱狂を思い出す。 平成2(1990)年10月27日、サーキット場「オートポリス」がオープンした。農林業が中心の村に全長4,674mのコースが...
平成16(2004)年11月、“メード・イン大分”の自動車が誕生した。 ダイハツ工業の子会社ダイハツ車体(現・ダイハツ九州)が中津市で操業を開始。生産台数は飛躍的に増え、ダイハツが国内で生産する軽自動車の半数以上を生み出す主力拠点に成...
衣料や食品を扱う店、レストランに映画館……。大分市稙田地区の田園地帯に欧米の街並みを思わせる建物が姿を現した。 ショッピングセンター・トキハわさだタウンが平成12(2000)年12月2日、グランドオープンした。約4千台分の駐車場を備え...
見慣れた「TOSHIBA」の文字は工場から消えた。 平成28(2016)年4月1日、半導体製造の東芝大分工場(大分市松岡)は岩手東芝エレクトロニクスと統合し、新会社ジャパンセミコンダクター(JSC、本社岩手県)大分事業所に姿を変えた。...
クセがなく、すっきり飲みやすい――。二階堂酒造(日出町)の「大分むぎ焼酎 二階堂」と、三和酒類(宇佐市)の「いいちこ」。全国を席巻した二枚看板は「麦焼酎イコール大分」の地位を確立し、一大ブランドを築いた。 大分県の焼酎出荷量(酒造年度...
山林の中に白い水蒸気がもうもうと立ち上る。平成2(1990)年6月22日、九重町湯坪の九州電力八丁原発電所2号機が営業運転を始めた。マグマに温められてできた蒸気と熱水を利用しタービンを回す。1、2号機を合わせた出力11万キロワットは地熱発...
半球状の近未来的なフォルムは壮大で美しく、新時代の幕開けを感じさせた。 平成13(2001)年5月24日。サッカーワールドカップ(W杯)日韓大会を翌年に控え、大分総合競技場「ビッグアイ」(現・大分銀行ドーム)が全貌をあらわにした。 ...
平成20(2008)年10月7日、第63回国民体育大会(大分国体)で県勢は天皇杯(男女総合優勝)と初の皇后杯(女子総合優勝)獲得を成し遂げた。選手団は広瀬勝貞知事を胴上げし、喜びを爆発させた。 天皇杯獲得の背景には関係者の強い思いがあ...
九州の小さな地方クラブが初めて日本一のタイトルを手にした。平成20(2008)年11月1日。Jリーグのヤマザキナビスコ(現YBCルヴァン)・カップで大分トリニータが頂点に立った。 「歴史をつくることができた。お金のない地方クラブでも優...
スポーツには夢がある。 平成11(1999)年3月14日。サッカーJ2に参入した大分トリニータが大分市営陸上競技場で開幕戦を戦った。「プロがなかった時代に九州に最初にでき、単純に一流のパフォーマンスがわくわくや感動を生んだ。あの頃から...
スポーツイベントの最高峰、オリンピック。平成には夏季7大会があった。大分から夢舞台に挑んだ競技者たちがいる。それぞれの五輪とは。 ▽ ▽ ▽ 平成4年のバルセロナで正式種目になった野球。公開競技時代に健闘した日...
平成28(2016)年9月12日、ボッチャ団体・日本代表チーム「火ノ玉ジャパン」がリオデジャネイロ・パラリンピックで銀メダルを獲得した。脳性まひの障害があり、練習に励んできたメンバーの一人、木谷隆行(48)=別府市=にとって夢がかなった瞬...
「村山富市さんを内閣総理大臣に指名することに決まりました」 どよめきと拍手が包む衆議院の議場。衆院議長土井たか子はりんとした声を響かせ、首相指名選挙の結果を告げた。平成6(1994)年6月29日。時計の針は午後10時を指そうとしていた...
平成8(1996)年1月5日。首相村山富市が突如、退陣を表明した。人心一新を期しての決断。周囲の度重なる慰留にも首を縦に振ることはなかった。 「戦後50年の節目に遭遇し、自分なりに役割を考え、力の限界を出し尽くしてきた」。首相官邸で退...
衆議院の選挙制度は平成6(1994)年、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に転換した。「政権交代可能な制度」をうたい、実際に2回の政権交代が実現する。区割りの変更も加わり、平成の30年で大分県の政治・選挙は姿を大きく変えた。 「同じ...
平成の大分県政は強力なリーダーシップを持つ2人の知事がかじ取りを担ってきた。 一村一品運動を提唱し、大分県の知名度を高めた平松守彦。経済産業省の事務方トップである事務次官から地方行政のトップに就いた現職広瀬勝貞(76)。平成15(20...
大分県の市町村を58から18に再編した「平成の大合併」。その直前の平成16(2004)年12月時点で、県議会、市町村議会を合わせ県内の地方議員の定数は939。それが今、半数以下の402に減った。 人口減や財政難を理由に、定数削減を求め...
仏の里に敷かれた大捜査網は着実に狭まっていた。 平成元(1989)年11月8日午後6時すぎ。犯人が身代金の受け渡し場所に指定したのは、国東町(当時)の大分空港近くの道路沿いだった。 大分市内の捜査本部で、県警捜査1課次席の荒添国勝...
青々とした稲田に真夏の日差しが照り付けていた。うなるようなせみ時雨。八坂川のせせらぎも聞こえる。 山あいに広がる杵築市山香町日指(ひさし)地区。平成14(2002)年1月18日未明、5人の外国人留学生が民家に押し入り、老夫婦に刃を向け...
山あいの田園地帯に衝撃が走った。 平成12(2000)年8月14日未明。野津町(現臼杵市野津町)でサバイバルナイフを手にした少年が民家に侵入し、一家6人を襲った。3人が死亡し、3人が大けがを負った。 数時間後。県警が逮捕した少年は...
10日付の紙面はこちら