「大逆転」と褒められるのが気持ち悪い——実家での生活保護、空白の20代を経て、NPO法人支エール代表が「一人の美談」を拒絶する理由

「すごいね」「本当に頑張ったね」「どん底からそこまで這い上がるなんて大逆転だよ」
36歳になった今年、僕は新しくNPO法人を設立し、現在籍を置いている会社でも勤続8年目を迎えた。20代の頃の僕の荒んだ生活や、社会のレールから完全に外れて立ち尽くしていた姿を知る人からすれば、今の僕の状況はまるで劇的なサクセスストーリーのように見えるのかもしれない。
けれど正直なところ、僕はそうやって他人から褒められるのがどうにも嫌だし、自分が「すごい人」だという自覚なんて1ミリだって持ち合わせてはいないのだ。腹の底にはいつも、冷たいモヤモヤが残っている。
誤解しないでほしいのだけれど、僕は過去の苦労話を武勇伝にしたいわけでも、同情を買いたいわけでもない。僕は何か大きな野望を抱いて社会を変えようとしたわけでも、超人的な努力で壁をぶち破ってきたわけでもない。ただただ、その時々に目の前に突きつけられた「一杯一杯の現実」から逃げ出す気力すらなく、地を這うような気持ちで一個一個、必死にすり抜けるようにして乗り越えてきただけなのだ。
だからこそ、「僕一人の力で成功した」かのように扱われ、僕ばかりにスポットライトを当てられるのが、どうしても耐えられない。
■ 実家という空間に漂っていた、圧倒的な異常さ
僕の20代のスタートは、重苦しい静寂の中から始まった。20歳から27歳までの丸7年間、僕は実家で生活保護を受給しながら、ひっそりと部屋の片隅で生きていた。
あの頃の僕の頭の中を支配していたのは、「底なしの焦り」と「強烈な劣等感」、そして社会から完全に切り離された恐怖だった。朝、窓の外から聞こえてくる駅へ向かう人々の足音や車の音。同世代が就職してキャリアを積み重ねていく中、自分だけが時間の止まった実家の部屋に取り残され、社会の構成員としてカウントすらされていない。
本来なら安心できるはずの実家にいながら、親子ごと社会から孤立し、ただ息を潜めて過ごす毎日。親子の関係性も含め、あの実家という密室に漂っていた空気感はどう考えてもおかしかった。
困窮した人間に保護費という金を振り込み、実家の中に放置する。心のリハビリも、社会へと手を引いてくれる支援もない。役所の指示通りハローワークへ行けば、面接官から履歴書の「数年間の空白期間」を犯罪者のように責め立てられて拒絶され、またあの息苦しい実家へと戻っていく。ハローワークと面接室での拒絶のループの中で、僕は自分が社会から爪はじきにされている絶望感を何度も味わされた。あの空間と制度の仕組みそのものが、狂っていたのだ。
■ 手帳という「脱出装置」と、手を引いてくれた人たち
その泥沼から抜け出す「たったひとつの脱出装置」になったのが、25歳で取得した障害者手帳だった。
手帳を提示した途端、あれほど厳しく追及された空白期間が「障がいのため仕方のなかったこと」として急に許されるようになった。自分自身は何一つ変わっていないのに、紙切れ一枚で手のひらを返す社会の仕組みに強い違和感を覚えつつも、僕はその枠組みをすり抜けて、ようやく就労支援やチャレンジ雇用という「働く訓練」の打席に立つことができた。
その後、29歳で現在の会社に正式就労できたのも、僕の努力の結果ではない。不器用でミスばかりの僕を諦めず、ハローワークの担当者が僕以上に僕の可能性を信じ、企業との間に入って泥臭く道を繋いでくれたからだ。
内定の電話を切った瞬間、胸に刻まれたのは「自分一人の力じゃ100%ここまで来られなかった」という、周囲への猛烈な感謝だった。僕がここに立っていられるのは、僕の服の袖を引っ張って外へ連れ出してくれた支援員、泥臭くお尻を拭いてくれたハローワークの担当者、会社の仲間たちがいたからだ。僕一人の美談にされてしまったら、彼らの泥臭い伴走の歴史が消えてしまう。それがどうしても耐えられないのだ。
■ タイムマシンがあったとしたら——過去の自分からの問いかけ
もしもタイムマシンがあって、生活保護を受給していたあの薄暗い実家の部屋で膝を抱えて泣いていた「20代の頃の僕」が、現在の僕を見たらなんて言うだろうか。きっと彼は口をあんぐりと開けて、僕の服の裾を引っ張りながら問いかけてくるはずだ。
「なんで? なんでそんなに頑張れるの? 一体、何をしてきたら、そんな風になれるの?」
今の僕なら、あの頃の怯えた目をしている若い僕の前に静かにしゃがみ込み、嘘偽りのない本音をこう伝えたい。
「何も特別なことはしていないよ。ただ、今日降ってきた目の前の課題を、1個1個、必死になりながらすり抜けて乗り越えていっただけ。そしてね、一番大切なことを教えてあげる。僕はたった一人でここまで歩いてきたわけじゃない。倒れそうになったとき、たくさんの人が僕の手を引いて、背中を押して、ここまで連れきてくれたんだよ」
■ 霧が晴れた景色の中で見えたもの
36歳になり、自分の今日を生き延びることだけで一杯一杯だった頭の中の霧が、ようやく晴れ渡った。
パノラマのように広がった景色の向こうに見えたのは、16年前の僕と全く同じように、実家や制度の隙間に押し込められ、「空白期間」を責められて暗闇の中で震えている若者たちの姿だった。
僕がNPO法人支エールを立ち上げたのは、高尚な社会貢献がしたいからではない。周りが見えるようになった今、目の前で昔の自分と同じように歪んだ環境で孤立している奴らを見て見ぬふりをして通り過ぎることが、どうしても許せなかっただけだ。
世間が僕に向けようとする居心地の悪いスポットライトを少し斜めから冷ややかに見つめながら、僕は今日も現場に立つ。一人では何もできなかった不器用な僕だからこそ、次の誰かが目の前の課題をすり抜けて生き残るための「隣で一緒に泥をかぶる不格好な伴走者」であり続けたい。

■ NPO法人支エールについて
NPO法人支エールは、社会的養護や制度の隙間で孤立する若者・当事者に寄り添い、居場所づくりや自立・就労に向けた伴走支援を行っています。
・公式WEBサイト:https://sasaelle.pages.dev/
・お問い合わせ:npo.sasaelle@gmail.com
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