累計40億円超、ドイツ製内視鏡システムを販売したトッププレイヤーが語る「医師に選ばれ続ける営業」とマネジメント

エム・シー・メディカル株式会社(エム・シー・ヘルスケアグループ)
外科事業本部 第1外科営業部 部長 岩崎 靖 氏
エム・シー・メディカル株式会社(以下MCM) 外科事業本部 第1外科営業部 部長の岩崎氏は、ドイツの内視鏡メーカー、カール・ストルツ社の製品販売に約20年間携わり、累計40億円を超える販売実績を積み上げてきた。年間販売額1位は実に8回を数え、社内でもレジェンド的な存在として知られている。
しかし、プレイヤー20年、マネジメント10年超にわたる営業人生をたどると、華やかな数字とは少し違った風景が見えてくる。まだ、医療の知識も浅いまま病院へ通い、医師からの質問に答えられず苦笑された新人時代。自分の足で病院を回り、医師の関心や院内の人間関係を一つずつ掴んでいった。製品に不具合が起きれば顧客から逃げず、その場でできることを考えて動いた。そうして岩崎氏が積み上げてきたのは、販売額だけではない。医師から「いい製品を紹介してくれて、ありがとう」と言ってもらえる仕事を重ね、その関係が次の相談や商談を生む循環をつくってきたのである。
一方、トッププレイヤーとして成果を上げ続けた経験は、管理職となった岩崎氏に新たな壁も突きつけた。自分が成果を出すことと、人に成果を出してもらうことは違う。年間販売額1位を8回獲得した営業担当者であっても、その転換は容易ではなかった。岩崎氏の歩みから、医師に選ばれ続ける営業の考え方と、個人の経験を組織の力へ変えていくマネジメントをひもといていく。
高い品質と信頼性で知られる内視鏡システム「カール・ストルツ社」との出会い
岩崎氏が地元の公立大学を卒業し、MCMに入社したのは1995年だった。まず、博多駅から徒歩十数分の九州支店に配属されたが、岩崎氏は最初から医療業界を志していたわけではない。大学時代は就職活動のスタートも遅く、当時の就職情報誌『B-ing』で会社を知った。「親会社も大きいし、しっかりした会社なのだろう」。そんな印象も、入社を決めた理由の一つだったという。
ところが、社会人生活のスタートは拍子抜けするほど静かだった。当時扱っていた臨床検査関連の機器では、新人の元にそう簡単に引き合いは来ない。消耗品の注文もほとんどなく、入社から3カ月ほどが過ぎるころには、「この会社で本当に大丈夫なのか」と不安を感じるようになっていた。
そんな状況を一変させたのが、ドイツの内視鏡メーカー、カール・ストルツ製品の取り扱い開始だった。当時、国内で同社製品を扱っていた有力な医療機器代理店が米国系医療機器メーカーの日本法人となり、従来の代理店機能を維持できなくなった。そこで、その機能を引き継いだのがMCMだった。旧代理店が抱えていた多額の在庫を引き受けてでも取り扱う道を選んだというから、会社にとっても大きな決断だった。それだけ将来性を感じさせる製品だったのである。
もっとも、競争力のある製品を手にしたからといって、すぐに売れるわけではない。当時の現場には、カール・ストルツ製品を販売するためのノウハウが十分に蓄積されていなかった。文系出身の岩崎氏も医療の知識は浅く、手元にあるのは製品名と価格のみが書かれた冊子だけだった。簡単な研修を受けると、あとは実際の病院で覚えていくしかない。外科医を前に製品を説明しても、専門的な質問に答えられず、苦笑されたこともあったという。
それでも、仕事がほとんどなかった数カ月前とは状況がまるで違った。カール・ストルツ製品の取り扱いが始まると病院からの引き合いが増えていった。保守や消耗品の仕事も動き始め、20代前半の岩崎氏は一気に忙しくなった。「やはりあの仕事量をやりきるのは大変でしたけど、仕事があること自体がうれしかったんです」と振り返る。
福岡を起点に、大分、さらに山口へ。分からないことがあれば調べ、失敗すれば次の訪問で修正する。誰かから営業の「正解」を教わったというより、自分で病院へ出向き、現場で答えを見つけていった。その経験が、後に累計40億円超を販売する岩崎氏の営業スタイルの土台になっていく。
病院を歩いて「営業の地図」を描く――1台の導入が次の仕事を生むまで
当時の九州支店は6人ほどの小さな組織だった。どの病院へ行くのか。誰に会うのか。医師とどう接点をつくるのか。営業活動の細部まで手取り足取り教えてもらえる環境ではなかった。「結局、自分で考えて動くしかなかったですね」と岩崎氏は語る。
消化器外科、泌尿器科、婦人科などを中心に病院へ通い続けるうちに、営業に必要な情報が少しずつ見えるようになった。この医師はどんな手術を多く手がけ、どのような機能に関心を持っているのか。院内で製品選定に影響力を持つのは誰か。競合製品の状況や、既存機器の更新時期はどうか。一つひとつは断片的な情報だが、それらがつながり始めると営業の動き方が変わる。新製品が登場すれば「これはあの先生のニーズに合う」と顔が浮かび、同じ医局の別の医師にもすぐに説明に伺ったほうがよいと判断できる。病院へ足を運ぶ回数を積んでいくうちに、岩崎氏の頭の中に「営業の地図」ができあがっていった。
医療機器の採用は、一人の医師の評価だけで決まるとは限らない。ある医師がカール・ストルツ製品を高く評価していても、別の医師は競合製品を支持していることがある。その相手を無理に賛成へ転じさせるのではなく、立場を理解し、必要であればあらかじめ説明して筋を通しておく。目の前の商談だけではなく、その周囲にいる人や院内の意思決定まで見ながら進めることが重要だった。
見積書の依頼一つをとっても同じである。「見積もりをください」と頼まれたとき、翌日の院内会議で使うためなのか、将来の購入に備えた参考資料なのかによって意味は変わる。言われたものをただ提出するのではなく、なぜその見積もりが必要なのか、その背後で何が動いているのかまで考える。依頼そのものではなく、その背景を見るようになっていった。
一方、営業に使える時間は有限である。症例数や機器の更新時期を見ながら訪問先に優先順位をつける。ただし、更新時期だけを狙って病院へ行っていては、長い関係は築けない。「更新の時期だけ行ったら、売りに来ただけになってしまいますから」と岩崎氏は語る。具体的な案件がなくても顔を出し、新しい情報を届ける。困りごとがあれば動く。そうした接点があるからこそ、本当に買い替えの時期が来たときに声を掛けてもらえる。
その営業を支えたのが、カール・ストルツ社自体の製品力だった。内視鏡システムは構成によって2000万円を超え、決して安価ではない。一方で、画像の鮮明さや新しい技術への対応に加え、実際に手術をする医師が感じる操作性にも高い評価があったという。医療機器である以上、不具合がまったく起きないわけではない。大きな修理ではドイツへ送り返し、その間に使用する代替機を用意しなければならないこともあった。
そんなとき岩崎氏が病院へ出向き、「申し訳ありません」と頭を下げると、医師や看護師から「いや、ほかの製品に比べれば本当に壊れないよ」と逆に声を掛けられることもあったという。営業担当者が自ら「信頼性の高い製品です」と説明するのではなく、実際に長く使ってきた医療従事者からそう言ってもらえる。その経験が、岩崎氏自身の製品への確信を強くしていった。
そして、内視鏡システムは1台を販売して終わる製品ではない。導入後には消耗品が必要となり、保守や修理も発生する。新しい製品が登場すれば再び提案の機会が生まれ、いずれ既存機器の更新時期もやってくる。岩崎氏の場合、こうした補修品や関連製品が年間売上の4割、多いときには6割ほどを占めたという。
一度導入してもらえば、病院との接点はその後も続く。そこで丁寧な対応を重ね、製品への評価が高まれば、次の更新時にも「今度もカール・ストルツ製品で」と声を掛けてもらえる。すでに製品の特性を理解している医師であれば、大がかりなデモをせず、具体的な型番や導入時期の相談から始まることもある。「とにかく一回入れていただくと、次が売りやすくなるんです」と岩崎氏は語る。
1台の販売が次の接点を生み、その接点が次の相談や導入につながっていく。その循環を約20年間重ねた結果が、累計40億円超という販売実績だった。大型案件を次々と取り続けた結果だけではない。一つの病院、一人の医師との関係を切らさず、「次も相談したい」と思ってもらえる顧客を増やしてきた。累計40億円という数字の背後には、長い時間をかけて積み上げてきた信頼があった。
数字の先にあった「いい製品を紹介してくれて、ありがとう」の重み
岩崎氏は、カール・ストルツ製品の販売に携わった約20年間で、年間販売額1位を8回獲得している。しかし面白いことに、営業順位が2位、3位になったことは一度もない。「販売が進まない年はダメなんです」と岩崎氏は笑う。
医療機器の営業成績には、努力量だけでは説明できない波もある。新製品や新しい機能が登場すると、それまで積み上げてきた顧客との関係が一気に動き出すことがある。「この機能ならあの先生」「この製品ならあの病院」と、長年蓄積してきた情報が新しい製品との組み合わせによって商談へと変わる。そんな年には販売額が大きく跳ねる。
一方、新しい提案材料や大きな更新需要が少ない年には、東京や大阪など大都市圏で大型の新規導入を獲得した営業担当者に及ばない。1システムが2000万円を超えることもある世界だけに、案件の巡り合わせが年間の順位を左右することもある。だからこそ岩崎氏は、「年間販売額1位になること」を仕事の目的にはしなかった。
では、30年以上もの間、何を原動力に営業を続けてきたのか。その問いへの答えは、医師からもらった「いい製品を紹介してくれて、ありがとう」という言葉だ。カール・ストルツ製品を導入した医師から、「手術がしやすくなった」と評価される。鮮明な画像や操作性を喜んでもらう。なかには、「この製品を使うようになって手術に自信が持てた」「もっと自分の手技を磨きたいと思った」と話す医師もいたという。そうした言葉は、岩崎氏自身が扱う製品への誇りにもつながった。
「カール・ストルツ社は他社製品に比べて割高ではあります。でも絶対に確かな製品を扱っているというプライドはありました」と岩崎氏は語る。価格だけを見れば、競合製品との比較は避けられない。でも、自分自身が心から良いと思える製品であれば、顧客にも自信を持って勧められる。その確信はスペック表を読み込んだから生まれたのではない。製品を使う医師の声を聞き、不具合が起きたときの評価まで含め、長い時間をかけて現場で確かめてきたものだった。
医療機器営業は、患者と直接向き合う仕事ではない。「もちろん、患者さんというエンドユーザーの存在は大切ですが、ディーラーは基本的には医師を向いて仕事をするものです」と岩崎氏は話す。患者から「良い製品を届けてくれてありがとう」と直接感謝される機会はほとんどない。患者に最も近いところで治療を担い、感謝を受けるのは医師や看護師をはじめとする医療従事者である。
だからこそ岩崎氏は、目の前の医師から信頼されることに仕事の手応えを感じてきた。病院を訪れると、「岩崎さん、ちょうどよかった。相談したいことがある」と呼び止められる。「今度、新しい製品を説明してほしい」と声を掛けられる。何かあったときに、顔を思い浮かべてもらえる。一つひとつは販売額として表れるものではない。しかし、そうした関係が積み重なった先に次の仕事があり、その結果として数字が残る。「一人ひとりの先生に喜んでもらう。その結果として数字がついてくれば、本当に幸せなことだと思います」と岩崎氏は語る。
年間販売額1位8回という華やかな実績とは対照的に、その原動力はどこまでも地道だった。数字を追うのではなく、目の前の一人にとって良い仕事をする。その繰り返しが、岩崎氏をトッププレイヤーへと押し上げていった。

カール・ストルツ社の招待でアメリカ サンタバーバラでの視察を行う岩崎氏(右)
しかし、自分で成果を出せることと、部下に成果を出してもらうことは違う。優秀なプレイヤーが管理職になったときに直面しやすいこの壁に、岩崎氏もまたぶつかることになる。
「なぜ、これができないのか」――トッププレイヤーが直面したマネジメントの壁
名古屋支店長を3年間、大阪支店長を5年間務め、2023年には東京支店長に就任。その後
は営業部長として、より広い範囲の組織を見るようになった。年間販売額1位を8回獲得したトッププレイヤーであっても、管理職になればそれまでとは違う能力を求められる。岩崎氏も例外ではなかった。
そのことを痛感したのが、名古屋支店長時代に受けた「360度評価」だった。思いのほか厳しい結果が並び、「結構、ひどい評価だったんですよ。この結果を見た上司が心配して、わざわざ東京から名古屋まで出て来て声を掛けてくれたほどです」と岩崎氏は振り返る。
プレイヤー時代の岩崎氏は、とにかくよく考え、よく動いた。病院へ足を運び、医師と会い、情報を集める。新製品が出れば、これまで蓄積した情報をもとに、どの病院の、どの医師へ、どの順番で提案するかを組み立てた。デモが必要なら準備し、会うべき相手がいれば会いに行く。トラブルが起きれば逃げない。約20年間、その繰り返しで成果を出してきた岩崎氏にとって、いつしかそれは特別なことではなく「普通」になっていた。
ところが管理職になると、その「普通」が部下には普通ではないことに気づかされる。「なぜ、ここに行かないのだろう」「なぜ、この話から次の提案につなげないのだろう」。岩崎氏には自然に見えている次の一手が、部下には見えていない。長年蓄積してきた顧客情報や医師との関係、製品知識が頭の中でつながり、本人には半ば無意識に次の一手が見えるようになっていたからだ。
これは優秀なプレイヤーがマネジメントを担うときに陥りやすい難しさでもある。自分では自然にできてしまうため、できない人がどこでつまずいているのかが見えにくい。結論が分かっていても、そこにたどり着くまでの思考を言葉にして伝えるのは、また別の仕事だった。「この病院へ行ったほうがいい」と指示するだけでは、部下は別の顧客を前にしたときに同じ判断を再現できない。トッププレイヤーとして培った経験値の高さが、マネジメントではかえって壁になったのである。
そこで岩崎氏が意識するようになったのが、答えそのものではなく、答えに至るまでの考え方を伝えることだった。なぜ、その病院へ行くのか。なぜ、その医師なのか。なぜ、今なのか。その商談が進めば次に何が起きるのか。誰への説明を怠れば、途中で話が止まるのか。「自分で調べて、自分で考えることが大事なんです」と岩崎氏は語る。
成果を出す営業担当者と、なかなか伸びない営業担当者との差も、こうした日々の思考と行動に表れるという。病院について調べ、医師の専門や症例数などを知り、競合製品の状況を確認して、次の一手を考える。一つひとつは決して難しいことではない。でも、それを3カ月、半年、1年と続けると、もう簡単には追いつけないくらいの差になる。昨日得た情報が今日の判断材料になり、今日の訪問が明日の接点を生む。岩崎氏自身が30年かけて身につけてきた営業力も、そうした小さな差の積み重ねだった。
いま岩崎氏に問われているのは、自分と同じトッププレイヤーをつくることではない。一人ひとりが自分の顧客を見て、自分で考え、判断できるようにすることだ。自分が成果を出す側から、人が成果を出せる環境をつくる側へ。360度評価でのつまずきは、岩崎氏にとってプレイヤーからマネジャーへ仕事の軸足を移す転機にもなった。

支店のメンバーと富士登山をする岩崎氏(左)
個人の経験を組織の力へ――30年後も変わらない仕事の原点
岩崎氏とまったく同じやり方を部下に求める必要はない。顧客も担当エリアも、医師との関係も競合環境も違うからだ。むしろ大切なのは、それぞれが目の前で起きていることを理解し、自分で次の行動を決められること。そして、その力が最も問われるのは、順調に製品が売れているときではなく、何か問題が起きたときだという。
たとえば、必要な製品が欠品したとき。自社に在庫がなければ、協力会社に残っていないかを探す。顧客から厳しく叱責されたときにも、距離を取らず、その場で「次に何をするのか」を一つずつ決めていく。「結局、逃げても解決しないんですよね」と岩崎氏は語る。誰かの責任にして終わらせるのではなく、まず自分が前に出て、今できることを考える。医療現場では、一つの機器の不具合が手術や診療の予定に影響することもある。だからこそ医師や医療従事者は、製品の性能だけではなく、「何かあったとき、この会社、この担当者はどう動いてくれるのか」まで見ている。
MCMがカール・ストルツ製品を扱い始めてから30年以上。その間、特に西日本では長い時間をかけて顧客基盤を築いてきた。良い製品を届け、導入後も支える。困ったことが起きれば動き、新しい技術が登場すれば、それを必要としている医師へ伝える。岩崎氏が若手時代から続けてきた仕事は、その後の営業担当者たちにも受け継がれてきた。一人の担当者に寄せられた信頼が、やがてMCMという会社そのものへの信頼になっていく。
だからこそ、岩崎氏が次の世代へ残したいものも、華やかな成功ノウハウではない。「一つひとつは難しくないんです。でも、それをきちんと積み重ねられるかどうかだと思います」と岩崎氏は語る。自分で調べ、考え、動く。何か起きたときには顧客から逃げない。その当たり前を続けることだ。
約30年前、医療の知識も営業経験もほとんどない新人が、価格表だけを手に九州北部の病院を歩き始めた。失敗するたびに製品を学び、相手を知り、次にどう動くべきかを考えた。その積み重ねが、やがて累計40億円という数字になった。

「しっかり努力していい仕事をすれば、やっぱりお客さんは喜んでくれるじゃないですか。人から感謝されて、自分も勉強になって、社会とつながっている実感も持てる。それって会社のためでもあるけど、結局は全部自分のためになるんですよね。これまでやってきて、努力して後悔したことって一度もないですから」と改めて自身の歩みを振り返る。累計40億円という数字も、年間販売額1位8回という実績も、医師から「いい製品を紹介してくれて、ありがとう」と言われる仕事を一つずつ重ねてきた結果でしかない。
いま岩崎氏が向き合っているのは、自分が現場で学んできたその感覚を、次の世代へとつないでいくことだ。岩崎氏が手渡そうとしているのは、売り方のテクニックではない。目の前の仕事に愚直に向き合い、やりきることの価値そのものなのだ。
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