戦後の創刊から復刊へ、『学研の学習』が大切にした「体験の力」 編集者・川田夏子が語る『学習』の歩み

クリエイター・インサイド 「学ぶっておもしろい」を届けてきた編集者 川田夏子


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 今回は、1988年の入社以来、2010年の休刊まで22年間『学研の学習』に携わった編集者、川田夏子に取材。

 『学習』の誌面づくり、子どもたちの興味を引き出す企画、そして「付録」ではなく「教材」と呼んで大切にしてきたモノづくりを通して、『学習』が長年届けてきた「学ぶおもしろさ」と、その根底にある考え方について伺いました。



 戦後間もない1947年に誕生し、長く子どもたちに親しまれてきた教材付き学年別月刊学習誌『1~6年の学習(以下、『学習』)』。最盛期には姉妹誌『科学』と合わせて月間で670万部という驚異的な発行部数を記録し、多くの家庭の学びを支えてきた。

 今回、その『学習』の歴史とモノづくりの舞台裏を語ってくれたのは、1988年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社し、『学習』編集部に配属された川田夏子。「1年の学習」をはじめ複数の学年を担当し、副編集長、編集長を経て、2010年の休刊まで、実に22年間にわたり『学習』に携わってきた。

 『学習』は何を大切にし、何を届けようとしてきたのか。

 そして16年の時を経て、新たな形でよみがえった『学習』に受け継がれたものとは――。

 その歩みを、川田の記憶とともにたどる。



戦後復興への願いから生まれた『学習』

 語り継がれた創刊の物語

 川田が『学習』編集部に配属されたのは、1988年。入社後、「2年の学習」への仮配属を経て、およそ2か月後に「1年の学習」へ本配属となった。

 そこで編集長から最初に聞かされたのが、『学習』誕生の物語だ。

「戦後すぐのころは、教科書は墨塗りで、十分に使える状態ではなかった。教師や教育そのものが大きく変化していくなかで、創業者の古岡秀人が『教科書にそった基礎学力が身につく学習雑誌をつくろう』と考えた。そこから『学習』が始まった、と聞きました」

 終戦直後、子どもたちが使っていたのは、戦中の記述を墨で塗りつぶした「墨塗り教科書」。満足に学べる教材が十分にない状況を前に、古岡は「戦後の復興は教育をおいてほかにない」と考え、学習研究社を立ち上げた。その思いを形にしたのが、1947年に創刊された『学習』である。

 創刊後、古岡は『学習』を子どもたちに届けるため、販売の仕組みも築いていった。当時、退職を余儀なくされた小学校の校長や教頭らに協力を求め、学校現場とのつながりを生かした直販を広げていったという。

創刊当初の読者として想定されたのは、中学入学を控えた高学年の子どもたちだった。そのため、まず「初等五年の学習」「初等六年の学習」が発行された。

「普通なら一年生から作るのではと思っていたので、高学年から始まったと聞いたことは、とても印象に残っています」


 川田は創刊から数年後の『学習』の実物も見ている。

「当時はまだ付録教材もなくて、本誌に折り紙や工作の図が載っていました」

 『学習』の始まりとなった古岡秀人の想いや創刊の経緯は、川田が入社した当時もしっかり共有されていたという。

「『創業者の思いを受け継がなければ!』というような大げさなことではなくて、知っておくべき当たり前のこととして伝わっていたのかな、という気がします」

 こうした創刊の物語を知ることが、『学習』編集者としての第一歩だった。

一冊の中で、できるだけすべての教科を

 学年ごとの「今」に合わせる

 『学習』は、国語・算数・社会・図工などの教科を横断して学べる、教材つきの総合学習誌だった。本誌には教科に関連する記事のほか、最新ニュース、特集、読み物、まんが、読者ページなど、多彩なコンテンツが並んだ。

「一冊の中で、できるだけ全教科を網羅するように心がけていました」

 一方で、『学習』のあとに作られた姉妹誌『科学』との間には、はっきりとした住み分けがあった。

 姉妹誌『科学』が生まれた背景には、1954年に施行された理科教育振興法がある。科学技術立国を目指す流れのなか、小学校教育でも理科が重視されるようになり、学研でも『学習』とは別に、理科や算数を中心とした科学誌を作ることになったのだ。

「『科学』が理科を中心にやっているので、『学習』では教科としての理科の学習ページはほとんどやりませんでした。一時期は『算数も理系なんだから科学でやるのでは』という話もあがった記憶があります。でも、それはちょっと違うよね、国語と算数は『学習』でしょう、と落ち着きました」

『学習』が教育現場で支持を広げた背景には、当時の教育事情が大きい。戦後は教科書や施設などの物資が不足し、戦前の教育カリキュラムも否定されるなど、教育現場は大きな転換期にあった。

 そうしたなか、『学習』では、基礎学力を楽しく身につけることを意識しながら、掲載する内容を、新たに施行された学習指導要領に合わせ、毎月の誌面も実際の授業の進度に合わせていった。教科書も教材も不足していた学校現場では、教師からも高い評価を得ていったという。

 さらに、「子どもは雑誌をただ読むだけでなく、考えながら切ったり貼ったりして、楽しい手作業をしながら学ぶことを喜ぶ」という考えのもと、子どもの「なぜ」「どうして」を引き出し、自ら学ぶ意欲や考える力を伸ばす工夫も重ねられた。

 その支持は大きく広がり、創刊から33年後の1979年には、『学習』『科学』の月間総部数が670万部を突破。当時の子どもの3人に2人が読者となるほどの規模に成長した。

「体験」を大切にしてきた『学習』

 誌面の外へ広がる学び

 『学習』では、誌面を読むだけではなく、実際に見て、試してみることも大切にしてきた。

「ずっと『体験、体験』って言っているんですよね。入社したときの編集長にも、『僕たちはこの“体験”をすごく大切にしている。誌面なんだけれど、体験学習なんだ』と言われました。当時、この『体験』という言葉は、長続きしない、刹那的なものといったニュアンスが強く、今のようないい意味ではあまり使われていませんでした。ですが、その後は『体験学習』という言葉がいろいろなところで使われるようになりました」

 この姿勢は、誌面づくりにも表れていた。取材で全国各地へ出向くことも多かったという。

「4年生は社会科で都道府県を扱うので、当時は毎月のようにどこかへ行っていました。取材先の小学校を訪ねて、子どもたちに物語を考えてもらい、それを次の地域の小学校へつないでいく“物語リレー”のような企画もありましたね。『4年の学習』担当者が、一番日本中を回っていたのではと思います」



 こうした取材と並行して、編集部では本誌や別冊の次号の企画を同時に進めていたという。 誌面の中だけで完結させず、取材を重ね、子どもが実際に見たり考えたりできる形へ落とし込んでいく。そうした姿勢は、「教材」づくりにもつながっていた。


「付録」ではなく「教材」

 学びを実際に体験するための工夫

 誌面を読むだけでなく、実際に見たり、手を動かしたりすることを大切にしてきた『学習』。その考えを具体的な形にしたものの一つが、毎号の教材だった。

「『付録じゃなくて教材だ』と、いつも言われていましたね」

 教材は、本誌とは制作体制も異なっていた。本誌や別冊をおもに副編集長以下の編集部メンバーが分担する一方、教材は各学年の編集長と「教材開発室」の担当者が企画・制作を担う。

 また、教材にも、各学年の学習内容が反映され、教材を紹介する誌面では、作り方だけでなく、「何のためにこの教材を使うのか」という保護者に向けた説明もあった。

 たとえば1年生では、「10はいくつといくつ」を学ぶボウリングゲームがある。

「ボウリングのピンがあって、ビー玉を転がして倒すんです。倒れたピンは、上から押すとまた立つようになっていて。『これはよくできているな』と思いましたね」


 2年生では、かけ算九九を覚える教材が充実していた。九九の歌は、当初のテープからCDへと形を変えながら作られたという。特に川田の印象に残っているのが、「九九ワンタッチ! 早おぼえ」だ。

「押すと答えの数字が浮き出て見えるんです。液晶のようですが、液晶じゃない。アナログな仕組みなのに、すごくよく考えられているなとびっくりしました」

 3年生では、水を流すと水車が回り、その動きが内部の仕組みに伝わる「水車小屋キット」があった。屋根を外すと、水車の力が中でどのように使われているのかも見られる。

「デザイナーさんに『トイレの手洗いのところに置いておくと、すごくくるくる回るよ』と言われて。やってみたら本当に回ったので、楽しかったのを覚えています」

 4年生では、「ローマ字パンチャー」が人気を集めた。さらに、日本列島の型に石膏を流し込み、地形を立体的に再現する「石こう立体日本地図」も作られている。

「石膏を流し込んで乾かすと、日本地図が立体化するんです。色付けできるのですが、白いままでもきれいでしたね」


 高学年では、大阪城の模型や道具など、歴史にまつわる教材も登場した。なかでも川田の印象に残っているのが、「漢委奴国王」と刻印された「金印」である。

「実際の金と同じほどではありませんが、しっかりとした重さがあり、原寸大でした。担当編集長が福岡市博物館に直接行って型を入手したんです。歴史の教材はどれも再現性が高いです。子どもたちに『本物』を体験してもらうために、『学習』はこだわり続けていました」



 計算する、組み立てる、動かす、形にする。本誌で知識を得るだけでなく、教材には、子ども自身が手を動かして確かめるための工夫が詰まっていた。

部数減のなかで「とにかく読んでもらいたい」

 子どもの興味を誌面に取り込む

 最盛期の1979年には『科学』と合わせて月間総部数670万部を突破した『学習』だが、川田が入社した1988年頃には、すでに発行部数の減少は始まっていた。

 少子高齢化に加え、塾や学校で学ぶ内容の変化、社会そのものの変化も背景にあった。

なかでも、社会のなかに広がっていた受験戦争に象徴される成功や結果重視の風潮が、体験を重要視している『学習』にとって、逆風となって表れ始めていたのだ。

「作っている側からすると、部数が落ちていることは、もう明らかでした。だから、ずっと考えていたのは一つ。『どうすれば、この下落を止められるのか』ということです」


「編集部では、何度も議論しました。そうして行き着いたのが、とにかく子どもたちに“読んでもらう”こと。まず手に取ってもらい、ページを開いてもらう。その入口として、子どもたちが夢中になるキャラクターやファッションなど、エンタメの要素を積極的に取り入れていきました」

キャラクターやゲームを取り入れたほか、アイドルの情報、ファッションや料理、整理整頓、低学年では髪の洗い方や歯の磨き方など、子どもの暮らしや流行に近いテーマも誌面に増えていった。

 誌面も教材も、子どもたちが何に興味を持つのかを探りながら工夫を重ねていった。

「とにかく読んでもらいたい。それが一番でした」

 子どもの興味を追いかけながら『学習』は時代に合わせて姿を変えていく。

 しかし、その先で川田は改めて「学習誌として何を届けるか」を考えることになった。


「学ぶ」おもしろさへの原点回帰

 算数教材から生まれた「アルゴ」

 子どもたちの関心を引くため、キャラクターやゲームなどエンタメの要素を増やしてきた『学習』。その一方で、『学習』の原点である「学び」から、少しずつ離れているのではないか。そんな違和感が、編集部のなかで生まれ始めていた。


「今の子どもたちに、本当に必要なものは何なのか」。そう問い直すなかで、もう一度、教科や「学ぶこと」を大切にしようという動きが生まれていった。

そのタイミングで「4年の学習」の編集長となった川田は、『学習』の原点に立ち返り、企画を見直し始めた。

「以前より教科を意識するようになりました。エンタメばかりだと、何のために『学習』を作っているのかわからなくなってしまう。そこは強く感じていました」


 変わらず毎号教材がついていたものの、この頃では、本誌で扱うのは作り方の説明が中心になっていた。川田は、教材を「作って終わり」にするのではなく、「そこから何を学ぶのか」まで誌面で扱う必要があるのではないかと考えた。

「教材を大切にしていくなら、そこから何を学ぶかまでやらないと駄目なのではと思ったんです。『学習』が本来目指していたものを、もう一度見つめ直す時期だったと思います」

 そこで川田が考えたのが、算数の教材だった。

当時の「4年の学習」では、前任の編集長が巻末に算数オリンピックの問題を掲載していた。その縁から、算数オリンピック委員会が開発したゲームを見てほしいという連絡が入る。川田も算数教材を探していたことから、話はすぐに進んだ。

「ルールはとてもシンプルですが、相手のふせられたカードの数字を推理して当てるという、遊びながら自然と頭を使うゲームだったんです」

 これが、のちの『アルゴ』である。当初は『学習』の教材としてつけることを想定していた。


 ところが、川田が社内の教材会議で実際にゲームを披露すると、予想以上の反応が返ってきた。

「社内での反応が非常によく、『面白い』『もっと豪華にしよう』という話になって。そこから一気に話が大きくなりました」

 

そうして、プラスチックのケースやチップなどを加えた商品版が、『頭のよくなるゲーム アルゴ』として先行発売されることに。算数オリンピックに参加する子どもや保護者から大きな反響を呼んだ。

そして約半年後、『学習』にも教材版が付録として登場する。

「エンタメで目を引かなくても、教科そのもののおもしろさで勝負できる。そう思えたんです」

 子どもの関心を引くためにエンタメを取り入れるだけでなく、教科そのもののおもしろさを教材にする。その可能性を、川田が実感した出来事だった。


部数減と教材コスト

 続けていくための試行錯誤

 2000年代に入ると、『学習』を取り巻く環境はさらに厳しくなった。部数の減少や教材コストの上昇を受け、表紙デザインを全学年で統一し、ページ数を減らすなど、誌面や制作のあり方も見直された。

「ずっと危機感はありました。部数は下がり続けていましたし、何より、教材にはコストがかかりますから」

 販売の形も変化していた。かつては、販売員が各家庭を訪ねて届けていたが、生活スタイルが変わり、次第にその方法が難しくなっていった。

「営業担当が届けに行っても、家に人がいないことが顕著になっていましたね」

 また、月刊から年4回程度の刊行にし、その分、教材を増やすといった試みも行われた。

「製造国を変えることでコストを抑えようとしましたが、なかなか思うようにはいきませんでした」

 部数と教材原価の両方を抱えながら、刊行の形を変え、続ける方法を模索した。しかし、「教材付き学年誌」という仕組みを維持することは、次第に難しくなっていった。

 そして2010年、『学習』は休刊となった。



16年ぶりに復刊した『学研の学習』

 変わらず大切にされた「体験の価値」

 そして2026年、『学習』が16年ぶりに復刊した。

 第1弾となったのは、歴史探究キット『学研の学習 はにわの大国宝展』。東京国立博物館の監修のもと、国宝「埴輪 挂甲の武人」を組み立てたり、石から勾玉を磨いたりしながら、歴史に触れられる内容となっている。本誌やまんが、オンラインコミュニティも組み合わせ、子ども自身が手を動かしながら学ぶ教材として生まれ変わった。

 新しい『学習』を見て、川田が思い出したのが、かつての体験型の企画だった。

「以前も、編集者が甲冑を着けたり、戦国時代の装束で撮影したり、平安時代の食事を再現したりしていました。体験の部分があるのが、やっぱり『学習』らしいなと」


 最後に、新しい『学習』を手にする子どもたちへの思いを聞いてみた。

「とにかく楽しんでほしいですね。細かいパーツもあるので、うまくいかないこともあるかもしれませんが、とても工夫して作られていますから。これをきっかけに歴史を面白いと思ってもらえたらもちろん嬉しいです。そこまでいかなくても、埴輪や勾玉のようなものを実際に見て体験する機会があるということ自体が大事だと思います」 

 動画や画像を見れば、多くを知ることができる時代になった。しかし、川田は実際に作ってみることの意味をこう語る。

「思うようにいかないということが、とても重要だと思うんです。壊れることもあるし、失敗することもある。でも、繰り返しているうちにできるようになれば、それはもう失敗ではなくなる。そういうことを体験してほしいなと思います」

 最初からうまくできることだけが学びなのではない。

 思い通りにならなければ、工夫し、もう一度やってみる。その過程も含めて、自分の手で確かめることに意味がある。

 時代が変わっても、そうした「体験する学び」は、新しい『学習』にも受け継がれている。






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