ドア上の室名札は「○年○組」の代わりに「日本語教室」と書いてある。 7月中旬、中津市立小楠小(一ツ松)。「おむすびひとつころがって、ころころころりんかけだした」。ミャンマーから2024年に来日し今春、入学したニミンパインさん(7)が小さな背をすっと伸ばし、童話を音読していた。 部屋を出て階段を下り、進んだ先が在籍する1年1組の教室。そこから国語の時間だけ移動し、日本語の特訓を受けている。 「読めたね」「100点!」。一対一で向き合う日本語指導員上田薫さん(53)が盛んに声をかけていた。上田さんは3年前から市内の公立小中で日本語を教えている。関わってきたのは15人に上る。 「以前は中津のような地方でこんな仕事があるなんて想像できなかった。今は必要とされていることを痛感しています」 パインさん一家は祖国で起きた21年の軍事クーデターをきっかけに、日本での生活を余儀なくされた。 父ヤンピョーハンさん(37)がミャンマーでの公務員生活を経て来日したのが19年。九州大大学院での留学中に政権が転覆し、政治的リスクから帰国は難しくなった。妻と5歳のパインさんを呼び寄せ、生きていくことを決めた。 ヤンさんは「技術・人文知識・国際業務」の在留資格を持ち、技能実習生らの受け入れを手がける市内の団体で働く。妻はすしチェーンの地元店に勤める。異国での生活が日常に変わっていく中、パインさんをどう教育していくかが大きな課題となった。 パインさんは来日まで日本語の素養がなかった。ヤンさんも言葉を覚えるまで「日本人相手に心の深い部分までのやりとりはできなかった」と振り返る。 「パインには日本語を頑張り、学びや就職のチャンスを広げてほしい。学校のサポートのおかげで前を向けているのは救いだ」 中津市立の小中学校には現在、パインさんのように日本語指導の必要な子どもが26人いる。5年前の3倍に迫る急増ぶりだ。国籍もフィリピン、アフガニスタン、インドネシア、中国など多岐にわたる。 市教委は15年度から日本語指導員を配置し、上田さんを含めて8人まで増やした。人件費は予算ベースで1900万円超を充てる。 支援の一つがパインさんの受けていた授業で、「取り出し」指導と呼ばれる。別教室で特別に指導し、日本語で通常授業を受けられるようになってもらう。 学校に言葉の壁で苦労する児童・生徒がいて、サポートする日本語指導員がいる―。そんな光景が「ごく当たり前」(市教委学校教育課)に広がる。 「日本語指導のために日本の税金を使うのは違うかなぁ」「日本で暮らすならテメェで覚えてテメェで子どもに教えてやれや。できないなら母国へ帰れ」 交流サイト(SNS)上には、公教育での日本語指導に否定的な意見もある。 国際人権規約(1979年批准)は「全ての者」への初等・中等教育を保障し、第4期教育振興基本計画(2023年閣議決定)は日本で暮らす外国人の子どもの「学びの保障」を提唱する。 中津市教委学校教育課の担当者は、公立校で日本語指導に取り組む意味をどう解釈しているのだろう。 「子どもは世界中どこにいても学ぶ権利がある。ましてや目の前にいるのは日本政府が働き手を呼び込む中、親の事情で連れてこられた児童・生徒たちがほとんど」。山本裕子指導主事(49)は個人的見解だと前置きしつつ、迷いのない様子で続けた。 「公共サービスとしての教育を与えなくていいとは考えていません」
8日付の紙面はこちら