追悼の会で感謝の気持ちを述べる児童養護施設「光の園」の上鶴勝之施設長=別府市荘園
【別府】別府市の社会福祉法人「別府光の園」(荘園)で長年にわたって統括施設長などを務め、児童福祉の発展に尽力した松永忠さん(享年63)=同市、4月13日に死去=の追悼の会が6月1日、敷地内のチャペルであった。関係者約130人が出席し、在りし日をしのんだ。
松永さんは長崎県平戸市出身。中津市の児童養護施設での勤務を経て、2000年副施設長として「光の園」へ。児童養護施設の運営だけでなく、地域の子育て支援拠点を目指し、保育所や児童館、児童家庭支援センターなどを備えた多機能型の施設として発展させた。専門的な視点を生かし、地域の子育て家庭とのつながり、見守る活動にも力を入れた。24時間体制の支援の必要性を訴え、行政との連携体制も整えた。
県児童養護施設協議会長などを歴任。厚労省や県、市に提言する各種委員も務め、子どもを取り巻くさまざまな課題について訴え続けた。市内で起きた児童虐待死事件を発端に始まった「別府子ども福祉塾」塾長も務めた。
施設では「忠(ただし)マン」の愛称で親しまれ、子どもたち一人一人に深い愛情を注いだ。養育に関する著書を多数執筆し、大分合同新聞「灯」には137編を寄稿。23年11月にくも膜下出血で倒れ、病と闘っていた。
会では高松右門・別府光の園理事長、衛藤祐治・県児童養護施設協議会長、妻の久美さんらが追悼の言葉を述べた。子ども代表の男子高校生(16)は「2歳の頃に光の園に来ました。いつも僕を抱っこし、一緒に歌を歌ってくれた。たくさんの愛情をもらい、年下の子どもたちを大切にするようにと教えてくれました」、児童養護施設の上鶴勝之施設長は「志を受け継ぎ、園を大切に守っていきます」と感謝した。
チャペルには子どもたちの聖歌が響き渡った。施設を出て社会人となった卒園生も駆け付け、松永さんとの思い出を振り返っていた。