大分国際車いすマラソンとはどのような大会なのか。第30回記念の号砲を前に、開催意義やレースの軌跡などを追った大型連載。
※大分合同新聞 朝刊社会面 2010(平成22)年10月10日~11月22日掲載
1981年の「国際障害者年」を記念して始まった大分国際車いすマラソン大会(大分県、日本障害者スポーツ協会・日本パラリンピック委員会、大分合同新聞など主催)は11月14日、大分市で30回目の号砲が鳴り響く。...
「幸せ」って何だろう。最近ふと考えることがある。 もちろん、人生は楽しいことばかりじゃない。落ち込むことがあれば、黙って奥歯をかみしめるときもある。 下を向いて今日をやり過ごすことは簡単だ。 「でも、どうせなら『今...
今、楽しくて仕方がない。 車いすマラソンに出合ってから、友達が一気に増えた。地元の街に出ると、知らない人からサインを求められることもある。何より、自分に自信がついた。 城間圭亮(しろまけいすけ)、14歳。沖縄県金武(きん)...
あれはいつだったろうか。 大分大会で若手選手を抜き去ったことがある。「こんな年寄りに抜かれよる。どんな気持ちだろう」。走りながら、ふと思った。 それから自らの立ち位置を変えた。「走らんか!」。後ろから“後輩たち”を叱咤(し...
運命だ、と思っている。 第1回大分大会の成功から9日後の1981年11月10日。佐藤仁志(28)は岡山県新見市で産声を上げた。 保育園の時に「走り方がおかしい」と先生に指摘された。脊髄(せきずい)小脳変性症。ドラマ化された...
誰にも負けたくない。 ひたむきな思いだけで、道なき道を切り開いてきた。 大分大会で8度のフルマラソン国内1位(第3~9回まで7連覇)。障害者スポーツ界で「山本行文」の名を知らない人はいないだろう。 “ミスター車いす...
けがをする前は「努力と根性」が信条だった。 今は違う。「やりたいことをやりたいときに、精いっぱいやる!」。心に決めた。 有屋田智香(ありやだちか)(28)=別府市。昨年、生まれ育った鹿児島市から大分に移り住んだ。今大会が初...
主人が今、もし生きてたら83歳なんです。テレビとかで80代の方を見ると「あんな感じなのかなぁ」って考えたり、「もうちょっとシャンとしてたかも」なんて思ってみたり。 あの人がこの世を去って26年。大会が30回の節目を迎えることを天国...
確か、「太陽の家」の忘年会の席上ですわ。中村裕先生が「国際障害者年(1981年)をアピールするアイデアはないか?」って言ったんですよ。ポンと頭に浮かびましたね、マラソンが。 県内では別大マラソンが開かれていて、沿道は小旗を振る人で...
《 神尊六合男(こうそくにお)(79)。第1回大会が開かれた1981年当時、県警交通企画課長だった 》 無理だと思った。世界初の車いすマラソン大会を大分で開くというんですよ。しかもコースは一般道という。世はモータリゼーション時代...
「よくそんな道、見つけられたな」って今でも思います。40メートル道路の家島橋(大分市)を渡らず、直前の側道に入る――いわゆる「テクニカルコース」です。 交通量の多い別大国道で開催することは不可能だった。県警も大分陸協も「42・19...
失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ――。大会の提唱者、中村裕博士が影響を受けたルードイッヒ・グットマン博士(英国)の言葉。好きですね。 《 車いすマラソンは時代の流れとともに高速化した。理学療法士の高橋寛(61...
《 大分陸協役員の後藤昌一(50)は昨年からフルマラソンの審判長を務めている。当日は「審判長車」で先導、42・195キロのドラマを見詰める 》 スタート時にクラッシュしないだろうか。毎年のことですが、やはり、そのことに一番気を...
どうすれば速く走れるか。 どうすればもっと障害者に光が当たるのか。 どうすれば、もっともっと共生が進むのだろうか。 己と、格差と、社会と――車いすのプロランナー廣道純(36)=大分市=は闘っている。 「反骨...
妻が駆け寄ってきた。 緑に囲まれた七瀬川(大分市)の河川敷。愛用のレーサー(競技用車いす)を止め、霧吹きで全身に水を浴びる。 大出積(おおでつもる)(58)=大分市=は、障害が最も重い「T51」クラスの熟練ランナーだ。過去...
その日も笑っていた。 東京都内のカフェ。ショートカットの彼女に会ったのは、米国でのレースを終えて帰国した直後の朝だった。 疲れを見せず、瞳をキラキラさせて「自分の未来」、そして「車いすマラソンの将来」を語り続ける。 ...
第26回大会。笹原広喜(別府市)が日本人初優勝を決めてから1時間23分後だった。 ゆっくり、両腕を振り下ろす。最後の一こぎに大分市営陸上競技場が再び沸いた。 障害の最も重いクラス「T51」で、井上聡(32)=愛媛県=は国内...
夢に違いない。夢であってほしい。これまでに何度そう思ったことか。 体が自由に動かない。そんな自分が悔しくて、涙がこぼれそうになったことは数知れない。そのたびに「泣いてたまるか」。 握力のない手を懸命に握り締めてきた。 ...
52歳の「芸術」である。 頭に描いた旋律に沿って、車いすのハンドリム(駆動用の輪)でレースを奏でる。 そのリズムは時に激しく、時に美しく、時に軽やか。たぐいまれな演出に観衆は魅了され、同じ舞台の競演者たちは毎回、度肝を抜か...
「日本のケイコ」として慕われている。彼女がいるから大分を走る――そう語る外国人の常連選手も少なくない。 後藤恵子(58)=大分市。第1回大会から通訳ボランティアをしている。 もちろん、無報酬。時には身銭を切ることもある。そ...
がっちりとした肩。上背もある。だが、マラソンは一度も走ったことがない。 上野茂(77)=別府市。長年、大分大会でレーサー(競技用車いす)の修理を担当してきた。 今はタイやラオスなど東南アジアで、車いすの製造技術などを指導し...
「小橋雅也」と言えば、日本モトクロス界の風雲児として知られていた。 高校2年でプロデビュー。22歳で「1995年度ジャパンスーパークロス・250CCシリーズ」のチャンピオンに輝く。翌年、日の丸を背負って欧州を転戦した。 順...
選手たちが疾走する。車いすのハンドリム(駆動用の輪)をたたく音が幾重にも重なり、大型オートバイのエンジン音をかき消した。 視線は前を見据えたまま。激しいレース展開を、背中で感じた。 県警交通機動隊の筒井英治(40)=大分市...
朝。大会事務局の机に座り、パソコンを立ち上げる。メールを開くと、今日も受信箱が“混雑”している。 送り主は外国人ランナーたちだ。テキパキと本文を読み解き、状況や内容に応じて返信メールにアルファベットを打ち込んでいく。 県障がい者体...
考えただけで腕が鳴る。 理由はいろいろある。世界各国から超一流ランナーが一堂に会す。そこに国内のアスリートが立ち向かう。 しかも舞台は世に名高い「OITA」だ。血が騒がないわけがない。 「いやもうホント、最っ高に楽...
車いすランナーが競技力を上げるには、高いレベルで自己表現できる環境の整備が大事だ。大分はそれを30年間続けてきた。国内選手が世界で活躍する大きなきっかけになった、と言っても過言ではない。...
大分大会は名実共に世界ナンバーワンのレースだ。行政、地域、ボランティアの尽力が大会を発展させ、30回の歴史を支える原動力になっている。 車いす陸上はパラ五輪の中でも非常にエキサイティングな競技で関心も高い。...
競技場のメーンスタンドで、選手たちのフィニッシュを見届けた。 「大会を提唱した中村裕博士(太陽の家創設者)をしのびながら、30年の歴史と感動に浸った」 第1回大会の10年前、1971年だった。...
この30年で時代は変わった。日本人選手が強くなり、積極的に海外レースに出場するなど劇的な変化を遂げた。 大会も変化すべきだ。今回、クラス分けに「T30」台(脳性まひ)が加わり、賞金レースが導入された。...
夫「労災事故で脊髄(せきずい)を傷めたのが1973年。...
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