佐伯豊南高校工業部の部員と顧問教諭。左端が松永芳史さん。3月に卒業した高橋保行さん(中央)と大石悠真さん(左から3人目)は部をけん引する存在だった
大分県佐伯市の佐伯豊南高校工業部は2023年度、「高校生ロボット相撲全国大会」で2連覇、「全国高校ロボット競技大会」で初優勝を果たした。土俵上で相手と戦う「ロボット相撲」と、ボールなどの物を回収し運ぶ「ロボット競技」は内容がまったく異なる。相撲と競技、両方の全国制覇は史上初だ。無名の高校がわずか数年で「強豪校」に成長した軌跡を追った。(3回続き)
■「自分たちもできるんや」
相撲と競技はそれぞれ専用のロボットを製作する必要があるため、多くの学校はどちらかの競技を選び集中して取り組む。だが佐伯豊南は違う。両方に同時に取り組む。部員数は3年生2人、2年生4人のわずか6人(2023年2月時点)だ。
この6人を全国のトップに導いたのが、顧問教諭の松永芳史さん(52)だ。松永さんはこれまで赴任した国東高校や大分工業高校でロボット相撲の指導に当たり、全国レベルの強豪校に育て上げてきた。自身も競技者として2016年の世界大会で優勝。ロボット相撲の第一人者だ。
2021年4月、佐伯豊南に赴任した松永さんの胸には特別な思いがあった。教員採用試験に合格して最初に赴任したのが旧佐伯鶴岡高校。旧佐伯鶴岡は2014年に旧佐伯豊南と統合、旧佐伯鶴岡の場所に新設されたのが今の佐伯豊南高校だ。
松永さんが新米教師だった頃、工業高校の現場では「これからはメカトロニクスの時代だ」と言われていた。ちょうど県全体でロボット相撲の取り組みが始まったころ。新採用になり、旧佐伯鶴岡に着任した松永さんは「若い人がやった方がいい」と勧められて指導の担当になった。松永さんにとって佐伯豊南は、自身のロボット相撲の原点。古巣に戻り、この地に再びロボットの灯をともそうと考えた。
ところが、当時の工業部には3年生が4人。ロボットの大会に出ることもマシンを作ったこともなかった。部員をロボット相撲に誘うところから始めた。連日午後6時半まで部活動をする日が始まると、早々に全員が辞めると言い出した。
そこで松永さんは、工業技術科の課題研究授業の一環としてロボット相撲の取り組みを始めた。授業の続きを部活動ですることで帰宅時間が下がらないように配慮する。その結果、松永さんが赴任したその年の夏、佐伯豊南はロボット相撲の九州大会でいきなり優勝した。
「わが校のロボットのベースはこの時にできた」と松永さんは振り返る。部員は普段表舞台に立つようなリーダータイプではない。「どうせ自分なんか無理」と思っているような生徒もいる。それが戦術を練って試合に臨んで勝った時「自分たちもできるんや」と意識が変わる。達成感が自信となり、部員たちは全国の頂点に立つまで成長していった。
■力を付ければ世界大会に
今年3月に卒業した部長の高橋保行さんと大石悠真さんは部をけん引する存在。ただ、2人とも入学直後から入部していたわけではない。高橋さんは1年の3学期、大石さんは2年からバスケット部と掛け持ちで、ロボットを始めた。
3年生が卒業した今、部員は2年生の4人のみ。1年生はいない。ただ、全国的に強豪と言われる学校でも部員は不足傾向にあるという。
松永さんは「力を付ければ世界大会につながるロボット相撲が身近で始められることが知られていないからだ」と考える。ロボットの大会では年齢差は関係なく、いろんな世代の人と交流できる。大会に出れば、自分たちが作ったマシンに対して何らかの評価が必ず出る。そこでまた新しい課題が見つかり、次のマシン作りに生かす。何より、ロボットを作って仲間ができる―。松永さんの口からはロボット相撲・競技の魅力が次々と語られる。
松永さんの使命はこの魅力を生徒に伝え、「ロボットの仲間」を育て増やしていくことだ。「勝つことは目標だけど、それ以上に高校生でも社会貢献できることがあるはず。ロボットを通して、ものづくりの技術を上げていくこと。人のためになるものづくりにつなげていきたい」
(年齢は記事公開時)