ナナママをしのぶ会で、あいさつする別府ヒットパレードクラブ前総支配人の川野昌秀さん=別府市北浜
【別府】泉都のキャバレー・クラブの業界で一時代を築いた「ナナママ」(本名工藤孝子さん)=享年80・九重町引治出身=をしのぶ会が14日、別府市内であった。著名人や政治家も訪れた名店「クラブ銀座」(同市北浜、2004年閉店)を率い、伝説的ホステスとして数々の逸話を残した。往時を知る人たちは「心遣いの天才。ママのような人は二度と現れない」と振り返った。
元従業員らによると、元町のキャバレー「マンモスクラブ窓」で200人いたホステスの中でナンバーワンの売れっ子だった。30代前半で系列クラブ「赤い靴」で初めてママに。その後、「窓グループ」を代表する「クラブ銀座」をママとして成功させた。最盛期は80人ほどのホステスが接客。志村けん(故人)らスター、政治家も訪れた。
「人にすがってはだめ。女一人でも生きていける力を持っていないと」―。働き、自立することに強い意志を持ち、格段の心遣いと営業努力でファンを増やした。「酔客がもどすと着物の袖で受けとめた」との強烈なエピソードも残る。
別府市鶴見の元タクシー運転手片山順一さん(74)も人間性に魅せられた客の一人。「ナナママが引退してからも交流が続き、付き合いは30年にも及んだ。特別な存在だった」
マンモスクラブ窓は1988年、路線変更し、現在の「別府ヒットパレードクラブ」(北浜)になった。温泉街のナイトレジャーを代表する人気ライブハウスだ。前総支配人の川野昌秀さん(66)=日出町川崎=によると、経営の浮き沈みを支えたのが「ドル箱」のクラブ銀座だった。
会社員中村麻美さん(50)は、実家の和食料理「大越」がクラブ近くにあり、ナナママと親交があった。りんとした姿で、子どもながらに憧れの人だったという。「警視総監の息子とお見合いさせてあげる、と言われたこともあった」と懐かしそうに笑う。
ナナママは4人きょうだいの2人目で、小学生の頃、母親が病死して苦労し、中学校を出て就職。別府で水商売の世界に入った。生涯独身で子どもはおらず、めいの穴井みゆきさん(50)=九重町右田=を実の子どものようにかわいがった。
しのぶ会はヒットパレードクラブであり、穴井さんもあいさつした。亡くなったのは昨年12月28日。晩年はパーキンソン病を患ってリハビリに励み、故郷で暮らしていた。「亡くなる前日は『とても気分が良い』と歌い、周囲の人と笑顔で過ごしていた。最期まで叔母らしかった」と伝えた。