有島武、幸夫婦(雅号=南洋、雪香)が1880(明治13)年に入門したと記された十市王洋の門人録=杵築市立図書館所蔵
「生(うま)れ出(いず)る悩み」「或(あ)る女」などで知られる作家の有島武郎、画家の有島生馬、作家の里見弴(とん)と、近代日本の文学、芸術の世界で活躍した「有島三兄弟」の両親は、杵築出身の南画家、十市王洋(といちおうよう)に学んでいた―。そのことを実証する資料を調査するため、大阪国際大国際教養学部の村田隆志教授が18日、杵築市を訪れた。
3兄弟の父、有島武は薩摩川内市に生まれ、維新後は明治政府に出仕、退官後は実業界で活躍した人物。妻、幸との共通の趣味として南画を学んだといわれていたが、今まで実態は確認されてこなかった。
転機となったのは、杵築市が十市家の子孫から書画などの寄贈を受け、2024年にきつき城下町資料館で開催した企画展「杵築南画の先駆者・十市石谷(せきこく)と十市王洋」。それに際し村田教授が、夫婦の師が王洋ではなかったかと同館に問い合わせたところ、王洋の門人録(1980年寄贈)に2人の名前が、また王洋が父、石谷の33回忌に合わせ、門人やゆかりの人物180人以上から寄せられた作品を2冊の画帖(がじょう)にまとめた「蘋藻帖(ひんそうじょう)」(2023年寄贈)に有島幸の作品が確認された。
村田教授は「彼女の教養の高さや感性を物語る書画で、現存する唯一の作品。今回の出現は歴史的発見といえるもので、有島家関連の記念館などの学芸員からも驚きの声が上がった。王洋に両親が学び、その有島家の文化度の高さが兄弟の活躍を生んだ。全国的にも極めて意義深いことで、大分の人にも広く知ってほしい」と話している。
きつき城下町資料館の一瀬勇士学芸員は「24年の企画展は十市石谷、王洋が何を手本としていたのかなどを展示していたが、十市家の資料を新たな切り口で整理し、どう影響を与えていったのかを広めることができれば」と語った。