「何の役に立つん、これ」。中間テストを前に、高校2年の息子がブースカ文句を言っている。教科書とタブレットを並べ、スマートフォンでサブスクリプションの音楽を聴くのは令和のスタイルだが、吐く弱音は昔と同じだ。平成期、ミニコンポにMDを入れ、ヘッドホンをつけながら熱唱をしていた遠い日の自分の「あんぽんたん」ぶりが重なる。
工業高校時代、サイン、コサイン、タンジェントに「一生使わん。意味ない」とそっぽを向き、専門科目は赤点続き。勉強の大切さを知ったのは、憧れたマスコミの受験基準が「大卒」だと気づいたときだ。
慌てて勉強を始めたが、頭の中はすっからかん。マークシートの模試では六角鉛筆を転がした。5択なのに鉛筆は6面。「6が出たら、当たりやすいとうわさの『3』を塗る」と都市伝説に本気ですがった。英語の点数は一桁だったのに、成績表の「32」を見て「おっ、意外と取れたやん」と喜んだら、得点ではなく偏差値だった。
当然、現役は全滅。1浪で大学の法学部へ滑り込み、いきおい余って大学院まで出た。だが、待っていたのは就職氷河期だった。全国紙の契約カメラマンを3年間務めてから、地域紙で記者になったが、薄給で写真屋のアルバイトざんまいの日々を送った。
転機は親になったこと。「このままじゃ、子育てやばくね」。焦ったが、当時は同業他社への転職制限期間があり、他紙へは移れない。そこで「給料がよさげ」という不純な動機もあって、損害保険会社に転職した。
ところが、配属された損害調査部門でしっぺ返しを食らう。交通事故の速度解析だ。過失割合の算出には欠かせない。すっかり文系脳の目の前に、難解な数式が並んだ。高校時代に切り捨てた三角関数だった。
数学は本当に苦手だ。大人になって勉強しても、全然頭に入らない。当時の住まいは誘惑だらけの福岡市中心部だった。窓越しに福岡タワーを見て、「バーで強い酒を飲みたい。屋台のラーメンを食べたい」。夜な夜なよぎる煩悩を振り払いながら、午後10時からと午前5時から、2時間ずつ猛勉強した。歌っていた10代の自分の胸ぐらをつかんで説教したい気分だった。
その後、大分合同新聞社に入り、再び記者の道に戻った。振り返れば蛇行した人生だったが、法学の知識も、カメラマンやアルバイト漬けの下積みも、ラーメンを我慢して電卓をたたいた速度解析も、すべてが「いま」につながっている。
本格的な受験シーズンが来る。遠回りばかりをしてきた「あんぽんたんな大人」から、胸を張って息子や受験生の皆さんに伝えたい。頭を抱えているその勉強も、将来どこで自分を助けてくれるか分からない。本当に、無駄なことなど一つもない。鉛筆は転がすものではなく、しっかり握るものだぞ。(原田宏一)