中学最後の夏休み、約600キロの自転車旅に挑戦した(左から)那須優歩さん、藤原涼太郎さん、古岡茎太郎さん=中津市耶馬渓町
「僕らで旅に出よう!」。昨年の夏の初め、当時、大分県中津市耶馬渓中3年生の藤原涼太郎さん(15)は、クラスメートの古岡茎太郎さん(15)と那須優歩さん(15)に切り出した。「行くなら自分たちの足で行きたい。自転車と言えばしまなみ海道だ」。中学最後の夏休み、3人は子どもだけの自転車旅に出た。
▶この3人なら行ける!
「涼ちゃん(藤原さん)」「キャプテン(古岡さん)」「那須君」と呼び合う3人。出会ったのは中学入学直後のことだ。全校生徒が50人に満たない学校の1学年14人の小さなクラスだった。人と話すことが大好きな涼ちゃんが「自分とタイプが違う。かっこいい」と、別の小学校から来た2人に話しかけた。2年生になると帰宅後にオンラインゲームで遊ぶようになり、3人の距離は近くなった。
涼ちゃんが旅に誘ったのは3年生の1学期が終わるころ。小学生の頃からテニスをしていた涼ちゃんは、夏休みに旅行をすることが少なかった。加えてコロナ禍で遠出の機会が減り、修学旅行も行き先は県内。部活動を引退してまとまった時間がとれる夏休みに中学の友達と遠くに行きたい。その提案に親友は乗ってきた。
大人のいない子どもだけの旅。不安がないわけではないけど、この3人なら行ける―。行程や宿泊先の計画は3人でつくった。親には、まとめた資料をスマホで作って見せ、認めてもらった。宿には未成年だけでも泊まれるか確認し、事前に予約。8月10日から1週間の旅が始まった。
▶「また何かやってみたい」
耶馬渓から国東市に向かい、スオーナダフェリーで山口県へ。広島・尾道からしまなみ海道で愛媛・今治に渡り、八幡浜から宇和島運輸フェリーで別府に戻り、耶馬渓に帰るルート。旅先で誰かに話しかける役は涼ちゃん、旅の大まかな計画を立て、自転車の修理道具を持って行くのはキャプテン、ルートを検索してナビする担当は那須君。役目はおのずと定まった。
午前8時ごろに宿を出て、次の宿に着く午後7時ごろまで、休憩を取りながら自転車を走らせる。旅先では想定していないことがたくさん起きた。買っても買ってもすぐになくなる水。地図では分からなかった急な坂道。海からの向かい風。体力の消耗は思ったよりも激しく、自分たちの体力のなさを痛感した。日没までに次の宿にたどり着くには時間との闘いだ。3人で意見が割れることもしょっちゅうだった。
6日目。フェリーで別府までたどり着いたところで疲労はピークに達した。この日に耶馬渓へ帰る計画を変更し、別府でもう1泊して体を休ませた。
最終日、3人は中津に向けて走り始めた。ところが杵築市に入ったところでキャプテンが熱中症になりリタイア。涼ちゃんと那須君の2人で耶馬渓を目指すことになった。すると今度は土砂降りの雨が降ってきた。中津市に入っても雨はやまない。「道の駅なかつ」まで来た時には、親から「ここをゴールにしてはどうか」という提案もあったが、ペダルをこぎ続けた。
自宅のある耶馬渓まではあと少し、青の洞門の近くで再びのアクシデントが起きた。那須君の自転車がパンクしたのだ。修理セットはキャプテンが持ったまま帰ってしまった。修理ができずに那須君も無念の離脱。そして、あたりが暗くなった頃、涼ちゃんひとりが自宅にたどり着いた。
「3人で完走」までにはもう少しだった。けれども、1週間にわたって親のそばを離れ、約600キロを自分たちの力だけで自転車で走った。大きなチャレンジをやり遂げた3人の中には、確かな自信と手応え。そして「また何かやってみたい」という気持ちがじわじわと生まれていた。
(後編に続く)