第49回全国高校ハンドボール選抜大会が3月23日から29日まで、大分、別府両市内で開かれた。昨年に続き2年連続で大分開催となったこの大会では、連日、全国の強豪チームが白熱の戦いを繰り広げた。決勝戦は29日、大分市のクラサス武道スポーツセンターであった。女子の優勝校、昭和学院(千葉県)で活躍した大分市出身の高橋琉(るい)選手=1年・16歳=にスポットを当ててみたい。
大分市下郡小2年のときに地元の下郡ハンドボールスポーツ少年団で競技を始めた。高橋選手は「姉がハンドボールをしていて、その影響を受けました」と話す。6年生で主将として出場した「第34回全国小学生大会」(京都で開催)では準優勝し、大分県民を沸かせた。
地元の滝尾中ではハンドボール部に入部し、さらに実力を付けていった。そのセンスに注目した強豪校の昭和学院から声がかかり、千葉県への進学を決意した。昭和学院は今回で選抜大会に33年連続44回目の出場だ。
高橋選手は背番号3。身長160センチ、利き腕は右。レフトウイングと左から2人目のディフェンスのポジションで先発した。決勝の相手は5年連続6回目の出場の熊本市立千原台。太鼓、ラッパ、メガホンを持ち込んでの両校の応援団も熱が入る。
昭和学院が先制した。そのゴールを決めたのは高橋選手だ。「自分の1発目で昭和学院にいい流れを持ってくることができた」と振り返る。佐藤奏吉監督は「高橋はウチの高校に来たときから光る嗅覚のようなものを持っていた」と言う。味方のシュートのリバウンドを確保して先制点を奪ったのは、まさに嗅覚がなせる業と言えるだろう。
前半16分過ぎ、高橋選手をアクシデントが襲う。ルーズボール(こぼれ球)を相手選手と取り合っていたときに、前のめりに倒れてしまい、右のまぶたの辺りを床に打ち付けてしまったのだ。場内がひやりとしたが、立ち上がった。痛みをこらえて走る、パスを投げる、取る、守る。
24分過ぎ、速攻でパスを受けた高橋選手が、左サイドから走り込んでシュート。自身2点目を決めた。そして21―12で千原台に9点差をつけて前半を終えた。
一緒に観戦した元ハンドボール選手の徳高康弘さん(豊の国かぼす特命大使)によると、ハンドボールの得点差で最初に心理的節目を迎えるのは3点で、次は5点だという。「5点離したら、ミスを連発しない限りは簡単には追い付かれないので、攻撃をする際に気持ちに少し余裕ができる。逆にリードされている側は、これ以上離されるとまずいという焦りが出てくる」と話す。そう考えると、9点差での折り返しは昭和学院にとって大きい。
後半。昭和学院は反則で退場者を出してしまう。ハンドボールはキーパーを含めて7人対7人で戦う競技。退場者は2分間、試合に出場できなくなり、1人が退場するとコートプレーヤーは6人対5人という状態になる。ただ、ハンドボールでは選手の交代は自由なので、「ゴールがら空き」のリスクは負うが、攻撃時にキーパーをベンチに下げて、コートプレーヤーと入れ替えることは可能だ。まさしくこの状態で戦っていた昭和学院は、後半17分過ぎ、がら空きのゴールにシュートを決められたタイミングで高橋選手を交代させた。その後、高橋選手はベンチで、前半で痛めた右まぶた上を氷のうで冷やしていた。
終始優位に試合を進めた昭和学院が、千原台に38―28で勝利し、2度目の日本一の栄冠を手にした。
佐藤監督は高橋選手について「オフェンスが好きな選手だが、試合に出たいという思いでディフェンスを頑張るようになった。ルーズボールの取り合いや1対1の局面で、体を張って守ることの重要性を厳しく指導していく中で、徐々にできるようになった。守備面で地道に努力してチームメイトの信頼を勝ち取ってきた姿勢は立派」と評価。「将来は司令塔に育ってほしい」と大いに期待を寄せる。
高橋選手は出場時は1年生で、4月から2年生になったばかり。これからの目標を尋ねると、決意を秘めた表情で「全ての大会で1位になる」。つまり、卒業するまで勝ち続けるということだ。今後の彼女の活躍から目が離せない。
■ハンドボールの主なルール
日本ハンドボール協会などによると、コートは40メートル×20メートル。ゴールは高さ2メートル、幅3メートル。ゴールエリアラインはゴールの前方6メートル。ゴールエリアには空中を除きキーパーしか入れない。
7メートルラインはゴールラインから7メートルの距離にある。明らかな得点機会を阻害された場合や、守備側の選手が攻撃を止めようとしてゴールエリアに入ったときなどにこのラインから「7メートルスロー」が与えられる。
ボールは膝から上で扱う。ボールの保有時間は3秒まで。ステップの範囲は3歩まで。ただしジャンプしてボールをキャッチし、着地した足は0歩。
退場処分となると、2分間はコート外で待機し、復帰できる。