【空襲の記憶】5月13日 佐伯防備隊と航空隊、米軍機の猛攻受ける

現存する佐伯防備隊の火薬庫=佐伯市鶴谷町

 豊後水道の防衛を担っていた日本海軍の佐伯防備隊と佐伯航空隊が、米軍機による猛攻を浴びた。
 佐伯防備隊の報告書「戦闘詳報」は、グラマン戦闘機の編隊から急降下爆撃と機銃掃射を繰り返し受けるなどし、朝から夕方までに延べ約240機の来襲があったと記す。庁舎、兵舎、倉庫など多数の建物が焼失・損壊した。
 同隊の死者は2人。戦訓として「防空壕(ごう)は人員防護の唯一手段」としつつ、「敢闘精神を減退」させる恐れもあり、この点に十分指導が必要と報告している。
 米軍はこの日、沖縄戦の支援を主な任務とする艦隊を九州沖に近づけ、空母から艦載機を発進させて九州各地の航空基地などに打撃を与えた。翌14日も攻撃は続いた。
 (各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載します)

最新記事
水ぼうそうの患者急増、大分県が注意報発表 19年以来「子ども感染時は休ませて」
「海難事故に注意を」大分海上保安部が啓発活動 駅利用者にチラシなど配布
【空襲の記憶】7月17日 大分大空襲で焼夷弾2万発「よく生きていたな」
【空襲の記憶】7月16~17日 火を踏み消し逃げた攻撃、義妹は3人の子失う
【大分大空襲】大分市中心部が焦土と化す 午前0時から1時間20分爆撃