豊後水道の防衛を担っていた日本海軍の佐伯防備隊と佐伯航空隊が、米軍機による猛攻を浴びた。
佐伯防備隊の報告書「戦闘詳報」は、グラマン戦闘機の編隊から急降下爆撃と機銃掃射を繰り返し受けるなどし、朝から夕方までに延べ約240機の来襲があったと記す。庁舎、兵舎、倉庫など多数の建物が焼失・損壊した。
同隊の死者は2人。戦訓として「防空壕(ごう)は人員防護の唯一手段」としつつ、「敢闘精神を減退」させる恐れもあり、この点に十分指導が必要と報告している。
米軍はこの日、沖縄戦の支援を主な任務とする艦隊を九州沖に近づけ、空母から艦載機を発進させて九州各地の航空基地などに打撃を与えた。翌14日も攻撃は続いた。
(各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載します)