【Gateインパクト】西南戦争が残した意外な遺産

 「リバテープ取って」

 40代竹田市出身の私は、ついこう言ってしまう。

 子どもの頃から当たり前に使ってきた言葉だ。切り傷や擦り傷ができた時、家族に頼むのは「ばんそうこう」ではなく「リバテープ」だった。

 ところが県外出身者と話をしていると、通じないことがある。実はリバテープは絆創膏(ばんそうこう)の商品名。熊本県のリバテープ製薬が製造する救急絆創膏で、その名前が一般名称のように地域に定着したものだ。大分県内では今も絆創膏をリバテープと呼ぶ人が少なくない。その歴史をたどってみると、意外にも西南戦争へと行き着いた。

 実はリバテープは商品名である。熊本県のリバテープ製薬が製造する救急絆創膏で、その名前が一般名称のように地域に根付いた。

 同社によると、創業は1878(明治11)年。意外にも、その原点は西南戦争にある。

 創業者の星子亀次郎は1877年の西南戦争で負傷した薩摩軍の有馬軍医を介護した。その際、「傷ついた兵士のために役立ててほしい」として、薩摩軍秘伝の膏薬の調合法を託されたという。これを基に開発したのが「ほねつぎ膏」で、同社の事業の出発点となった。

 その後、3代目の星子義法がアメリカ軍の救急用包帯に着想を得て研究を重ね、1956(昭和31)年に日本初の救急絆創膏を開発した。商品名は、当時広く使われていた消毒薬「リバノール」を付けたテープだったことから、「リバノール」と「テープ」を組み合わせて「リバテープ」と名付けられた。

 戦争が残したものとして語られるのは、焼失した町並みや戦跡、犠牲者の記憶が多い。しかし、西南戦争の余波は意外な形で現代にも残っている。大分県民にもなじみ深い「リバテープ」も、その一つと言えるのかもしれない。

 では、なぜ大分でも「リバテープ」という呼び名が定着したのだろうか。

 同社は、高度経済成長期に配置薬(置き薬)として普及したことを理由の一つに挙げる。創業者の亀次郎自身も製品を背負い、九州各地を行商して回ったという。大分を含む各地へ地道に届けた活動が、今日まで続く信頼の礎になったようだ。

 さらに、同社は絆創膏の製造技術を広く公開した。多くの類似製品が登場する中でも、先行して普及した「リバテープ」の名称が地域に残ったとみられる。

 同社が今年5月、交流サイト(SNS)のX(旧ツイッター)で実施した「みんなでつくる新ばんそうこうMAP」には全国から774人が回答した。大分県は福岡、佐賀、長崎、宮崎、沖縄などと並び、「リバテープ」と呼ぶ人が多い地域であることが改めて確認されたという。
 一方で、こうした呼び名も少しずつ変化している。

 リバテープ製薬広報企画課の大島祥さんによると、全国規模のドラッグストアの進出などもあり、若い世代を中心に「リバテープ」が通じにくくなっているという。
 
 熊本から県外へ進学や就職で移り住んだ人が、ドラッグストアで「リバテープください」と伝えたところ、セロハンテープを案内されてしまった―。そんな笑い話も社内外で語られているそうだ。
 
 それだけ地域に根付いた言葉である一方、全国的な認知は高くない。大島さんは「大分県内で現在も広く親しまれていると聞き、大変ありがたく、うれしく感じている」と話す。
 
 戦場となった熊本や鹿児島に比べると注目される機会は少ないが、大分県も無縁ではなかった。県内各地には今も戦争の痕跡が残されている。
 
 何げなく使っている「リバテープ」という言葉の背景には、九州の激動の歴史が隠れていた。
 
 来年は西南戦争から150年。県内に残る戦争の痕跡についても改めてたどってみたい。
    
(衞藤知愛)

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