特攻隊員だった三浦秀逸(しゅういつ)さん(享年101)が戦時中に家族へ送った手紙43通の全文を、4回に分けて紹介する。
三浦さんは旧制の高等農林学校から1943年10月に熊本県の大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊へ入った。当時19歳。入校して間もない頃の手紙には、初々しい決意や、訓練で苦戦しながら飛行機の操縦を習っている様子が見える。
軍装品の購入費としてたびたび送金を依頼する記述も目立つ。軍刀も実家から送ってもらったことが記されている。
家族と写真のやりとりもしばしばあった。特に赤ちゃんだった末弟・朗生(よしお)さんの姿を見るのが楽しみだったようだ。
三浦さんは朝鮮半島東北部の元山(ウォンサン)出身。初めて過ごす九州の暖かさに驚きながら、寒さが厳しい故郷の家族への気遣いもつづっている。
年明けの44年1月ごろまでは頻繁に手紙を出しており、おおむね10日と間を置かずに送っていた。その内容からは、家族思いの明るい一人の若者が、軍隊生活に次第になじんでいく姿が浮かび上がる。
全て検閲があったとはいえ、この頃の文面に悲壮感はほとんどない。妹に宛てたはがきには「兄さんは、もう帰らないからね! 靖国神社であうんだよ」との一文があるが、手描きの飛行機の絵なども添えており、どことなく明るい雰囲気が漂っている。
手紙全文【1】~【17】
(注)文面の旧仮名遣いは現代仮名遣いに、漢字の旧字体は新字体に改めた。一部の難読字は平仮名にした。その他は誤字を含めて原則そのままにした。
◇は封筒またははがきに記された郵送元(所属部隊など)。同じ場所が続く場合は省略した。【 】内の数字は手紙の届いた順(一部判然としないものもある)。日付は消印や届いた日を判読できた場合に記した。封筒に「写真在中」や「書留」と記載されたものは〈 〉内に記した。
◇熊本県大刀洗陸軍飛行学校隈之庄分教所第四区隊
【1=写真①左下】はがき:1943年10月10日着
前略
三日、午後四時四十五分、無事入校致しました。御安心下さい。即刻軍服に着替え、軍刀をつって天晴れな武者振りであります。唯皆より遅れて入校いたし、緒戦に於て已に遅れた事を最も遺憾として居る次第であります。でも全力を尽して、それに追いつき、一日でも早く一人前に成らんと決心いたして居る次第であります。では又何れ後便にて。
◇熊本県大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊第四区隊
【2=写真①右上】はがき:10月17日着
前略
御無沙汰致しました。あれ以来毎日元気でやって居ります故 御安心下さい。朝鮮ももう大分寒くなったでしょうね 霜もぼつぼつおりる頃でしょう。こちらは、さすがは九州で毎日いいお天気で暖かく、訓練には上々のいい季節です。生れて以来考えた事も無かった飛行機にも乗りました。近き将来に於てはこの飛行機に乗って米英とわたり合うこと考えると、身も心も言い知れぬ緊張をおぼえ、同時に一日も早く操術をおぼえ、巣立たん日に備えんと覚悟を新たにした次第であります。では皆様お身体を大切に!
【3】はがき:10月22日消印、26日着
前略
相変らず元気で毎日張り切ってやって居ります。御安心下さい。
最初は仲々むつかしく、とても自分には出来そうもないと思って居りましたが、次第に操作も慣れて参りどうやらこうやら出来る様になりました。五体全部を使ってもなお足りなき感あり一層の努力演練が必要な事をつくづく感じます。「失敗は成功のもと」と言いますが、飛行機だけは、この諺は通じません。一度の失敗は永久の失敗です。それだけ空中勤務者は演習間は真に緊張そのものであります。今後共巣立たんその日に備えて全力を奮って頑張ります。自分に関しては御心配なく では御身体に充分気をつけられる様。
【4】はがき:10月31日着
前略
取急ぎ御願いいたします。実は早速ながら軍装品購入に金子入要に付き、百円ばかり至急御願いしたいのであります。今から請求しておかないと入らないとの事であります。送金は熊本二四七二の振替口座番号で、氏名の処は大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊、加入者住所は熊本県下益城郡杉上村とし、通信欄には第四区隊三浦秀逸軍装品代として下さい。教育隊の計理部の方で処理して戴きますから。軍刀を除いて五百円ばかりかかるそうであります。取りあえず百円程お願いします。
【5】はがき:11月2日着
御手紙拝見いたしました。皆元気の由、手紙の来ない間は心配いたしました。山元様への荷物、「与野」であります。成るべく早くお願いします。それから又、これは急がなくてもよろしいですが、而し出来ましたら軍刀を願いたいのであります。今は官物を与えられて居ますからいいですが、でもやはり私物としてどうせ必要がありますからお願いします。
今は軍隊生活にも慣れて毎日元気でやって居ます。がしかし軍隊の注射には参りました。四種混合というので、この間第一回をやりましたが少しばかり熱を出しました。第二回目が近くあることになって居ますが、これだけにはどうも勝てません
【6】はがき:11月1日消印、5日着
前略
写真受取りました。父様母様の御写真よく出来ましたね。全部で写したのは少しボケて見えました。朗生も案外可愛く、戦友にも見せ合って大威張りです。
自分の方も写真を写して送る積りですが、軍服が身に合う迄待って下さいね。飛行服の写真はその中に写して送ります。自分の方は何も困る事は今の処ありません。反ってもったいない位であります。自分に関しては決して心配なく。
「秋晴れや日本男児の幸思う」
【7=写真②左】封書:11月9日消印、13日着
前略
永く御無沙汰いたしました。本日、軍装品代、金百円也確かに受け取りました。これで大体間にあいますから、後は御心配せぬ様、其の他の事に関しましても心配せぬ様、幾ら国の為とは云え日々の生活、余りのもったいなさに、毎日感謝して居る位であります。面会も男一匹、国に捧げた身体です。家には未練はありませんから絶対に来ない様、特に御願いいたしておきます。十一月四日付の御手紙拝見いたしました。家中元気の由、何よりも先ず喜んで居ます。特に朗坊が食初めをしたとか、さぞ大きくなった事でしょうね。自分と入れ替えに天よりさずかった男の子、しっかり育ててやって下さいお母さん! くれぐれも御願いいたします。えらい感傷的になってしまってお父様に叱られるかも知れませんね、つい筆が滑ってしまいました。もう書きません。
所であれ以来自分も至極元気でやって居ます。今じゃ軍隊生活にも慣れ、生来やんちゃ坊主で通って居た自分もどうやら軍人らしくなって参った様であります。この生活について色々と御知らせしたい事もありますが事軍機に関しますからこれ位で止めます。なお同封の手紙、常会の時にでも皆様に読んでやって下さい。(絶対に見せない事)、では又後便にて。
十一月八日 秀逸
※同封の手紙
拝啓
秋冷の候、愛国班の皆様、その後益々元気に銃後の御務めに励んで居られる事と存じます。小生出発に際しましては一方ならぬ御厄介にあずかり、種々御激励の言葉を賜わり、過分の御餞別迄頂戴致し、且つ熱誠なる御見送りに預り、誠に有難う御座居ました。御厚情の程、厚く御礼申します。御蔭をもちまして、不肖無事入隊致し毎日元気に軍務に励んで居ります。
入隊以来早や○○日、誰の面上にも確固たる決死の覚悟が歴然と表われ思わず襟を正しました。不肖充分覚悟は出来ておるつもりでありますから断じて郷党の名を辱める様な振舞は致しません。今は毎日、あこがれの、地上とは凡そ趣を異にする新世界に羽ばたいて、やがて巣立たんその日を夢見つつ訓練に余念ありません。コバルトの大空を自分等が悠久の住家として緊張そのものの生活を続けて居ります。
彼我の航空決戦たけなわなる今日、身を空に置きましたる以上、真に御楯われたるの自覚に徹し、粉骨砕身軍務に精励致し、宿敵米英撃滅の聖戦完遂の一途に邁進致し、以て皇恩に報い奉る覚悟であります。
先ずは御礼かたがた近況迄、
皆様の御健康を御祈りいたします。
三浦秀逸
愛国班御一同様
【8=写真②中央】はがき:11月16日消印、21日着
前略
早や十一月も半ば過ぎ朝鮮も大分お寒くなった事でありましょうね。ボツボツストーブも入れなけりゃやっていけない頃でありましょう。この間慶子の手紙に銀杏の葉が入れてありましたが、あれから考えても相当紅葉のして居る様に思われ、なつかしく思いました。ところでこちらも朝晩は相当冷えこみ、どうやら冬らしい感じが致します。が日中は地上では実に暖かく未だ蠅が絶えない位であります。幸い季候の変化には慣れて居る関係か身体にはさして感じません。相変らず元気で居ます。御安心下さい。では又後便にて。
【9=写真②右】はがき(手描きの飛行機2機と雲、山のイラスト付き):11月23日着
慶子
御手紙有難う。
お家のお手伝い、して居るかな
一生懸命勉強して、よい人になるんだよ
兄さんは、もう帰らないからね! 靖国神社であうんだよ、ではこれからもお手紙たくさん下さいよ
澄子にもよろしく
【10】封書:11月29日消印、12月4日着
前略
永らく御無沙汰いたしました。朝鮮にも雪が降ったそうですね。大分昨今は冷えますでしょう。ここ九州は南の国、未だに暖かく、食事中に蠅の絶えざるは、さすがによわります。而しながら、幾ら暖かくとも、やはり冬は冬、十一月ですからね、朝晩は相当冷えます。先日は五度附近迄下りました。生来丈夫な身体? 相変らず元気で居ます。
訓練も次第にはげしくなり、自然音信も絶えがちとなりますが、決して自分の身に関しては心配せざる様、若し事故でも起し、身に少しでも異常の起りたる際は、かくさず御知らせしますから! 手紙が来ないと言って心配は禁物、安心ありたし。
先日の二十三日は自分の誕生日、而も休日。この日、始めての外出が許可され、皆喜こんで出て行きましたが、自分は丁度、週番勤務に服務しあり、残念ながら外出できませんでした。夕刻、戦友から色々と地方の状況を聞かされ、なつかしく思いました。何時も空中より見て居た通り、今年の刈入れも終り、而もこの地方は豊作だそうで、いささか意を強くした次第であります。
軍隊生活と言うものは、つらいこともありますが、又面白いことも多々あります。
明日は日曜日、この日、連隊対向の体育大会が催されることになって居り、自分は剣道の方に出場することになりました。
夫々、各学校の猛者集いで、四段、五段、錬士等、ざらに居る中、それは見物であろうと今から期待をかけて楽しみにして居ます。
連日の訓練益々好調、一層緊張努力いたし、向上の一途に邁進いたするべく頑張ります。くれぐれも御心配せざる様、御身体を大切に!!
秀逸
十一月二十七日
(自分等の区隊長は第四区隊で中田区隊長殿であります。)
【11】はがき:12月9日消印、13日着
前略
先日は慶子澄子の御手紙有難う。誕生日の御祝をして呉れたそうで、真に涙の出る程嬉しく感じました。処でこの間の御手紙は澄子の方がよく要点が書かれてあり非常によく分かりましたが反対に慶子の方は何だか終りの方がはっきり分らず澄子の方を見て、ああ成程とうなずかれる程度でした。大分お母様から手伝って貰って居る様ですね。この間京城の達ちゃんから手紙を戴きましたが、達ちゃんの方が余程上手です。誰も見てやらずに書いてよこしたのだそうで仲々面白く、戦友と見せ合って笑ったのでありますが、でも要点がはっきり分って実に愉快でした。今度書かせる時は自分で書く様にお願いします。
ところで飛行機の方もどうやら自分で動かせる様になりました。でもこれからが真の勉強で、負けなく、張り切って頑張って居ます。大東亜戦争も明日で二週年、この間に多くの先輩が築きあげた不滅の功績をうけつぎ、晴れの戦場に臨むべく、日々訓練に励んで居ます。では御身体を大切に!!
当地も相当冷えて参りました。ついては冬のジャケツ(白)御手数ながら成るべく早くお送り下さい。お願いします。
【12】封書〈写真在中〉:12月13日消印、17日着
前略
随分御待たせいたしました。漸く昨日出来上がって参りましたので同封致しました。十一月三日、菊の佳節に写したものであります。
自爆要員の面魂、しっかり見てやって下さい。
少し焼付が濃くて暗くなり、眼鏡が下に下って見難くなりました。
今度は軍服姿を写して御送りします。
秀逸
(二枚同封しましたから、一枚は大石の兄さんにやって下さい。)
【13】封書〈書留〉:1944年1月5日消印、11日着
明けまして御目出度うございます。
昨年中は御無沙汰いたしました。何かと取り紛れて失礼いたしさぞ御心配した事でございましょう。悪しからず
決戦第四年目を迎え、負荷の大任の益々重且つ大なるを痛感いたします。銃後の決戦調も一段と新たなる段階に入り夫々与えられたる目的に向って邁進いたして居られることと存じます。一層の奮闘あらんことを祈ります。
世は一億挙って空への観心、集中して参りました。今年こそは勝敗を決する重大なる年であり、且つこれが一にかかって航空撃滅戦になることを思う時、この道に精進いたして居る身として、無常の光栄であり、且つ真に生甲斐を感じます。聞けば徳治君も陸飛に志願したとの事、又大塚さんの藤本君も!
重ね重ねの朗報に接し愈々勝抜く覚悟新たなるものがあります。
さて今年のお正月は雪の無い初めてのお正月です。而しそこに操り拡げられる気分は、内地も外地も違いません。やはり緊張に明け暮れの中にもやはりそこに若干の余裕をにおわせると云った様な程度のお正月であります。自分等もオトソにお雑煮其の他若干の御料理に正月の気分だけは味わいました。御地の正月は如何でしたか、くわしく御知らせ下さい。
ところで軍刀、未だ手許に届いては居ませんが色々と御骨折り下さって有難うございました。何れ到着いたしましたら御知らせいたします。
では御身体を大切に!!
小包みは届きました。
秀逸
なお、これは少しでありますが、お父様の好きな酒代にでもして下さい
【14】はがき:1月15日着
前略
お寒くなりました。其の後如何ですか。先日のお手紙では裏の姉さん悪いとか、どんな様なのですか。先日大石の兄さんから御手紙戴きましたが、この点にはふれて居ませんでした。充分気をつけられる様お願いします。
ところで早速お願いする様ですが、又軍装品代、百円ばかり送って戴けませんか? 急でなくてもよいですから、出来次第送って下さい。
学生時代から色々と苦労をかけて、軍隊に入ってからは幾らかなりとも報いたいと思って居ますが!! 悪しからず。その中戦地に出ましたる際には存分の手柄をたてて報ゆる覚悟であります。
では皆さんお元気に!!
(軍刀未だ到着致しません、着き次第御知らせ致します。)
【15】封書:1月26日着
拝啓 相変らず元気旺盛 頑張って居ます故御安心下さい。
先日御発送下さいましたる軍刀、本日無事到着いたし受取りました。無い処をわざわざ探して下さり有難うございました。早速中を開いて見ましたる処 中々立派な品、自分等如き者には余りに勿体無い位であります。今迄官物の軍刀を借りて居ましたが、早速返納いたしました。この軍刀に恥ぢなき立派な軍人となるべく今後共一層の緊張を以て本務に邁進いたす覚悟であります。
ところで訓練も次第に本格的に入り、身体にも相当こたえて参りましたが、課目が進み訓練が激しくなるに従い恐ろしいとか何とか言う気持ちは全く起きては参りません。歌に
男なりやこそ五千尺空の 雲の上から地上をのぞきや
山の緑が目に沁みる そこにや故郷も母も居る
とありますが、ほんとうにこの歌の通り男なりやこそ乗れることを思う時、真に心の底から男と生れたうれしさを通切に感じます。二十幾星霜の間よくこれ迄に育て上げて下さいましたることに対し深く感謝致します。この上は一層の努力を以て、与えられたる目標に邁進いたします。
では又、後便にて。
秀逸
一月十九日
【16】封書〈写真在中〉:1月31日着
拝啓
お手紙拝見致しました。軍刀の件でありますが先に到着致しお知らせ致した次第でありますが、お手紙届きませんでしたか。中々立派な品で、勿体無い位であります。郵便局には大分以前に着いて居た様でありますが、何分にも人手が足りずに配達が遅れ、こちらから日曜日の外出の時、受取って参りました。確かに受取りましたから御安心下さい。
さてここ九州は、冬とは名のみ。昨今は実に暖かく、春の様な感じが致します。毎日よい天気で演習には絶好の日和続きで、毎日張り切ってやって居ります故 御休心下さい。御地は如何がですか御伺い致します。朗坊も大きくなったでしょうね。あれからもう半年たちましたものね。どうか大事に頼みます。お母様も一人ふえてさぞお忙しい事でありましょうが、くれぐれも身体に充分気をつけられます様、無理は禁物、たまには気晴らしにニュース映画にでも出かけられます様。
同封の写真、昨年の暮に写したもの。先日出来上って参りましたのでお送り致します。田舎の写真屋で余りよく写って居ませんが、恰好だけでも見てやって下さい。
では又後便にて。
秀逸
(なお一枚は高農の級友緒方であります)
小包みの件でありますが、現在の処何も不自由は致して居りません。反って日々の生活に余り行き届いて居て勿体無い位であります。今後共何も御送りにならない様、特に食物は厳に禁ぜられて居ます故、お断り致して置きます。なお、面会の場合に於ても食物はお断わり致します。民事を圧迫せしめない為の事でありますから御心配なさらない様、特にお知らせ致しておきます。
【17】はがき:2月22日消印、26日着
前略 永らく御無沙汰いたしました。課目の進むにつれて便りも遠のきがちになりましたが、御心配なく、致って元気旺盛にてやって居ります。
本日はこちらに来て始めての大雪を見ました。それでも一寸位は積りましたからね、南国の雪、何となく暖かな感じです。元山は今が一番寒い頃でありましょう。充分気をつけられます様。
先日は大阪の伯母より突然御手紙を戴き、おまけに多分なる御金子迄戴き恐縮した次第であります。早速御礼状を出しましたが、家の方からも一言お願いします。皆元気の様でありますが伯母様が少し身体が悪くて病院通いをして居るとの事であります。
それから又突然ながら例の軍装品代、これで最後でありますから二百円、今度は少し急ぎますから至急御送金下さい。御願いします。