元米軍パイロットが50年前に撮った写真。そこに写っていた家族を捜そうと意気込んで始めた聞き込みは、予想外の展開になった。1軒目で親戚の家にたどり着いてしまったのだ。
写真を見て「私の伯母さんや」と声を上げたのは、佐伯市蒲江西野浦の浪井宏さん(78)。水産業が盛んなこの地で、魚の養殖業を営んでいる。宏さんによると、写真右端の高齢女性が、伯母の日高ヒデさんだった。
他の人物についても教えてくれた。若い男性がヒデさんの息子の忠信さん。若い女性は忠信さんの妻の妙子さん。そして忠信・妙子夫婦の3人の子どもたち。
「ずいぶん懐かしい写真やなぁ」と目を細める宏さんに、現在の彼らの行方を尋ねた。残念ながら、ヒデさんと忠信さんは既に亡くなっていた。しかし妙子さん(78)は宮崎県延岡市に住んでいるという。
撮影した元米軍パイロットのデビッド・カーチナーさん(96)は、この家族に写真を渡したがっている。そのことを浪井さんに伝えると、妙子さんに連絡を取ってくれた。すると、妙子さんが今から佐伯市に来てくれることになった。
浪井宅で待っている間、宏さんがある記憶を語った。「昔ヒデさんから、仙崎砲台に行ったらヘリコプターから米軍の人が降りてきた、と聞いたことがある。よく話していたから今でも覚えている」
おいっ子に何度も話すくらい、ヒデさんにとっても印象的な経験だったことがうかがえた。
1時間ほどして、妙子さんが到着した。「電話をもらって、居ても立ってもいられずに来た。あの時の写真があるなんて」。渡した写真をじっくりと眺めて声を漏らした。「懐かしい。この日のことは鮮明に思い出せる。とても優しい人だった」
50年前のあの日―。忠信さんと妙子さんは子どもたちを連れ、ヒデさんに会いに延岡市から帰って来ていたという。
ヒデさんが「散歩に行こう」と言い、6人で近くの仙崎砲台跡に向かったところ、砲台跡を見に訪れていたデビッドさんと遭遇した。「ヒデさんがとても社交的な人だったから、お互い言葉は通じないけどすぐに意気投合した」と振り返る。
身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取り合った。ヒデさんがミカンをあげ、デビッドさんからチョコレートをもらった。写真を撮り、住所を聞かれた。
しばらく待っていたが届かずに、そのまま時が過ぎていた。
デビッドさんは砲台が好きで、日本各地の跡地を訪ね回ったそうだ。今回、写真の家族を捜そうとデビッドさんが相談した高橋悦子さん(62)=東京都=は、東京湾に砲台を設置するために造られた人工島の研究や保護に取り組んでいる。そうした縁で2人は交流があった。
日高さん一家は仙崎砲台跡を見学に来たデビッドさんと出会い、高橋さんからメールを受け取った記者が妙子さんに写真を届けることができた。戦争のために造られた砲台が思わぬつながりを生んだ。
妙子さんは「私は戦後生まれだけど、国同士が争ったことはもちろん知っている。でもあの日はただの人と人として、穏やかで楽しい時間が確かに流れていた」とほほ笑む。
「米国に行くことは難しいけど、デビッドさんが元気でよかった。時代と国を超えた不思議な縁に感謝している」。50年越しに手元に届いた写真を大事にしまいこんだ。
デビッドさんに、家族を見つけ妙子さんに会えたことをメールで伝えた。ほどなくして、デビッドさんから返信が届いた。
「見つかる可能性は低いと思っていたので驚いている。一瞬の出来事だったけど、今でも鮮明に思い出せるくらい素晴らしい体験だった。妙子さんと子どもたちの幸せを祈る」