大分市新川町にある「合同庁舎」。国の出先機関が入る5階建ての建物だ。取材で何度か訪れるうち、庁舎前にある大分交通のバス停の名前がふと気になった。
「合同庁舎稲荷前」
合同庁舎は、目の前にある。では「稲荷」はどこにあるのだろう。
辺りを見回してみたが、鳥居も社も見当たらない。地図を見ても、それらしい神社は見つからなかった。
新川周辺には細い道が複雑に入り組んだ一角もある。車で通るだけでは分からないのかもしれない。そこで自転車で訪れた際、路地をくるくると回って探してみた。
すると、近くに「弁財天参道前」というバス停がある。こちらは名前の通り、近くに弁財天が祭られていた。
やっぱり「稲荷」も、どこかにあるのではないか。
気になり始めると、放っておけない。
まず大分交通に問い合わせた。経営企画部の蛯谷憲治部長が昔のことを知る社員に尋ねてくれた。その回答は「昔、そこに稲荷があった」というものだった。
やはり実在したのだ。
では、どこへ行ったのか。もしかすると、合同庁舎の敷地内に移されたのではないか。
別の取材で合同庁舎を訪れた際、今度は建物の中を探してみた。5階建ての庁舎で各階の見取り図を確認したが、それらしいものはない。
清掃中のスタッフなら建物の隅々まで知っているかもしれない。そう思って尋ねると、2年以上この庁舎を清掃しているものの、稲荷は見たことがないという。
ただ、「総務の人なら知っているかもしれませんよ」と教えてくれた。
そこで4階に入る大分財務事務所の総務課を訪ねた。応対してくれた女性職員も「昔、稲荷があったとは聞いたことがあります。でも、いつの間にかなくなったみたいですね」。
そして、有力な手掛かりを教えてくれた。
「岩見理容なら何か知っているかも。あそこはこの辺では本当に昔からありますから」
バス停近くにある岩見理容を訪ねた。創業70年を超える老舗で、店を切り盛りするのは2代目だ。
「ありましたよ、お稲荷さん」
ようやくたどり着いた。
店主によると、15年ほど前まで店の裏手近くに立派な社があった。鳥居には「伏見稲荷」と書かれていたという。高齢の宮司が一人で守り、地域の人たちがお参りする身近な「お稲荷さん」だった。
店主が調べてくれた昔の地図にも、その場所には「稲荷大明神」と記されていた。
さらにインターネットを調べると、現在も「伏見稲荷大分支部」とする情報が残っている。社があった当時の宮司の名前も確認できた。
どうやら「合同庁舎稲荷前」の稲荷は、間違いなくここに存在していたようだ。
では、なぜ消えたのか。
店主の話では、周辺に老人ホームが建設されることになったのがきっかけだったという。高齢だった宮司は親戚を頼って佐伯市へ転居。社は取り壊されたという。
建物も鳥居もなくなった。それでも「合同庁舎稲荷前」というバス停の名前は変わらなかった。
一つのバス停名から始まった「お稲荷さん探し」。大分交通に問い合わせ、合同庁舎を歩き回り、清掃スタッフや財務事務所の職員に尋ね、最後は昔からこの街を見てきた理容店へ。聞き込みを重ねるうちに、今はない「お稲荷さん」の姿が少しずつ浮かび上がってきた。
街を歩けば、普段は気にも留めない地名やバス停の名前がある。その由来となった建物や店、神社が、今もそこにあるとは限らない。
街は変わる。建物が建ち、景色が変わり、かつて当たり前にあったものが姿を消す。それでも名前だけは、思いがけず長く生き残ることがある。
何げなくバスを待つ「合同庁舎稲荷前」。その名前はいまも、この場所に地域の人たちが親しんだ「お稲荷さん」があったことを伝えている。
(衞藤知愛)