~(中)までのあらすじ~
しがないヒラのサラリーマンが、ひょんなことからヒーロー業界の末席に名を連ねることになった。「世界ヒーロー協会」から入会を認められ、デビューを果たしたヒラリーマン。助けに向かった仏像彫りの男性の「その後」を早速テレビニュースで知り、たまがった。
いまいち伸び悩んでいた中年仏師は、あれよという間に今をときめく作家に変身していた。
力みが抜け、個性がにじみ出るようになっていたのだ。
きっかけはヒラリーマンとの出会いのようだった。スランプ脱出を―と神仏の登場を願っていたところ、現れたのがマント姿の中年おじさん。いい年して、子どもかいな―と軽く立ちくらみをしていたら、かえって自分の固定観念がガラガラ崩れ落ちていったという次第。
「仏像はこうじゃないといけない」とか、「威厳が漂ってなんぼ」とか、そんな建前とか体裁とかはどうでもよくなった。
俺は何をしたかったんだ。自らの心に尋ねた。
一言でいうなら、人さまをハッピーにすることだ。作品を手に取ってくれた人に、癒やしを提供することだ。伝統、しきたりは正直、二の次だ。
それなら、形とか常識にこだわる必要もないじゃないか。
仏像彫りの男性は、これまで何体もつくり上げてきた仁王像を脳内でイメージしてみた。片手の掌(たなごころ)は天を、もう片方の掌は地を指している。これぞ仁王。覇気、怒気があふれている。圧巻だ。
だけど、このポーズじゃないとダメなんだろうか。
天を指す仁王の片腕を、もう少しくねらせてみた。地を指すほうの腕も、力を抜かせてみた。すると、ちょっと雰囲気が変わってきた。
どこか、出前に向かうラーメン屋さんに見えなくもない。
天を向く手のひらには、ラーメンを載せたお盆が見えるようだ。そしてもう片方の手は、自転車のサドルを握っている。絶妙なバランス感覚。なんか、生活感がにじんできたぞ。
切れ長で、ややつり上がり気味の目尻も、ちょっと細工を。少し、垂らしてみよう。おお、優しい好々爺のようだ。せっかくだから、さらに垂らしてみよう。むむ、ニヤリとしすぎて、こちらを小馬鹿にしているようでもある。
でも、悪くない。仏像なのに、油断すると吹き出してしまいそうな恰好じゃないか。なんだか、見ているこっちの気持ちがほぐれてきそうだ。
「これだ」
男性は膝を打った。人さまをハッピーにする仏像。心も体もほぐしてくれるような仏像。いや、もはや仏像とも言えないかもしれない。それでも、いい。
俺の目指しているのは、これなんだ。
それから、一心不乱に創作に打ち込むようになった。出前に見えなくもない仁王像は、若い世代を中心に「ジワジワくる」とひそかな人気を呼びだした。追い風に元気をもらい、新たに生み出した垂れ目の半跏思惟(はんかしゆい)像は、「油断するとこっちの目じりが垂れてくる」とネットで注文が入るようになった。
一方、伝統的な仏像彫りの業界からはバッシングを受けた。「これは仏像ではない」「仏像を愚弄(ぐろう)している」。散々だった。
それでも男性はひるまなかった。自分の作品で、見る人をハッピーにするんだ。腹をよじらせるんだ。出前で何が悪い。垂れ目で何が悪い。もっともっと、楽しい仏像を生み出すぞ!
・・・
男性の活躍ぶりを伝える、テレビのニュース番組を、ヒラリーマンはかじりつくように見入った。「ビッグになられたもんだ」
また工房の門を叩いて、おひねりをいただけないかなあ―とさもしい妄想に浸るところに、ヒラ枠芸人の哀愁が漂っていた。
(文・マーおじさん)
~現実を追いかける新聞記者が、空想の世界を駆け抜けます。お楽しみに~