~(上)のあらすじ~
あるハナ金の夜、一人のしがない中年サラリーマンは、人気のない公園でマントを付けると走り出した。僕は無敵のヒーローだ!
すると体がフワリ。夜空を翔(か)けた。降り立ったのは、とある仏像彫りの工房。緊張感のない風体にアタマがほぐされたのか、仏像彫りはスランプ脱出のヒントをつかんだ様子。お礼にもらったお札で一杯引っかけていると、知らないサングラス男から話しかけられた。
「『世界ヒーロー協会』への加入、おめでとう」
出し抜けになんだ、このおじさん。サラリーマンは身構えた。だが、隣の男は気にするでもなくブツブツとつぶやいている。警戒しながら耳を傾けていると、中身が見えてきた。
こういう事らしい。つまり世の中は今も昔も、助けを求める人たちであふれている。スケールの大きな事から小さな事まで、さまざまある。そこで登場するのがヒーローだ。地球のどこかで、誰かが悲痛な叫びを上げたとき、颯爽(さっそう)と現われ華麗に救い出す千両役者の登場を、誰もが待ちわびている。そして実際、英雄たちは節目節目で現れ、ミッションを果たしてきた。
善良な市民が悪の軍団から襲われかけたら、空を翔(か)けてスー〇ーマンが姿を現し、悪者たちを華麗にぶっ飛ばしてくれる。地球が大怪獣にやられそうになれば、ウルト〇マンの出番だ。シニア勢もパワフルで、水戸のご老公は毎週、越後屋たち悪徳商人を成敗してくださっている。
「ここまで聞いて分かると思うが、大御所枠は、もう一杯だ」
おじさんが、つぶやいた。つまり、世間の羨望(せんぼう)を独り占めにできる「おいしい」舞台はベテランたちががっちり抑えている。ヒーロー業界も、最上位クラスは飽和状態、というわけだ。新参者が食い込めそうなスペースは、残念ながらほぼない。
「ただな、助けを求める人たちはまだまだたくさんいらっしゃる。我々ヒーロー協会としても、こうした切実な声にもっともっと応えていかねばならん」
おじさんは、熱燗(あつかん)の猪口(ちょこ)をぐいっと飲み干すと、虚空をにらんだ。
世の中に求められているのは、千両役者ばかりじゃない。悩める市民にそっと寄り添い、ひたすら伴走支援する等身大の助っ人だって、もっといていいはず。
レッドオーシャンにみえるヒーロー業界も、裾野に目をやればまだまだ空席もニーズもある。サラリーマン業界でいうなら、何の役もない「ヒラ」の枠。ヒラのリーマン、略してヒラリーマン。
「そこで、君に白羽の矢が立ったというわけだ」
ちょっと小馬鹿にされた気がしないでもない。確かにヒラのリーマンだけれども。おじさんは続けた。ヒラ枠といっても、誰でもなれるわけではない。まず、ヒーロー願望がなければならない。路上でスカウトして育てていけるほどの余裕は、今のヒーロー業界にはない。予算繰りは厳しい。
そう聞いて、サラリーマンはドキッとした。実は、いい年こいてヒーローにこっそり憧れてる。
「そしてもう一つ。ヒーローには、ときに常識の殻を破って一歩を踏み出す破天荒(はてんこう)さが欠かせん」
都会の雑踏で、てらいなく変身ポーズを決めることができるか。タイムスリップを信じて、地球を逆向きに7周半する秒速の旅に今すぐ飛び立てるか。胸のカラータイマーがチカチカしだしたとき、ちょびっと焦る細かなリアクション芸をとれるか。
数時間前。サラリーマンは公園でマントを付けて公園を駆けていた。純真無垢(むく)の童心に返っていた。僕は、天下無敵のヒーローだ!
「今どき、大の大人でそんなことする奴はおらんよ」
やっぱり小ばかにしている。
だが、まさにあの瞬間、条件がそろったのだとおじさんは明かした。サラリーマンが駆けだしたところで、ヒーロー協会の事務局が即座に反応した。特殊なビームをマントに向けて発信した。推進能力を与えられた中肉中背は、ついに空を舞うことになった。ヒーロー業界のヒラ枠芸人、ヒラリーマンがこのとき、誕生した。
デビュー先にと協会が送り込んだ舞台は、必ずしも見栄えがするところとはいえなかった。悶々とする仏像彫りの中年男性に、ただ会い、二言三言、交わしてもらっただけだ。でもなぜか、男性は憑(つ)きものが取れたかのように晴れやかな顔つきになった。
「君の子どものような思考回路と、しがないサラリーマンとしての風体が、男性の凝り固まったアタマを解きほぐす触媒作用として働いたのかもしれないな」
おじさんは再び猪口をあおった。そして胸元のポケットから名刺を一枚取り出し、サラリーマンに手渡した。「これから、よろしく頼むよ」
そこには、こう書かれていた。
「世界ヒーロー協会事務局 真野英雄」
真顔で渡されると、やっぱりアブない人にしか見えない。
サラリーマンの心のうちを見透かしたように、おじさんは笑った。「こんな名刺を見て、まともに取り合う人もいないさ。特に、常識にがんじがらめの大人社会ではね。だからかえって安心なのさ」
事務局の真野は、今後のミッションについて2、3の補足をした。大物ヒーローと違って、こちらで「おいしい」場面をこしらえることはできない。撮影クルーも送り込めない。新人・ヒラの世界は甘くない。自分の仕事は、自分でつかめ。君がマントをつけ、勝手に走り出した時点で、我々(われわれ)が適当にどこかの舞台へ送り出すことにしよう。ちなみに、帰り道は自腹で頼む。最近は空を飛ばすのも燃料代がかかってかなわんでな。
「ま、これは祝儀だ」
真野は渋沢を1枚、テーブルに置いた。そしてやおら立ち上がり、「ごっそさん」と居酒屋の亭主に語りかけると店を後にした。
不思議なおじさんとのやり取りを終え、サラリーマンは放心状態となった。今日この一日、いったい何だったんだろう。僕はこれから、どうしたらいいんだろう。
疑問が次々とわいてきた。迷いを打ち払うかのように、サラリーマンも席を立った。勘定を済ませ、最寄りの駅へ向かった。いただいた祝儀は、遠方の出先からの帰り賃としてきれいになくなった。
・・・
その後、しばらくしてサラリーマンは再び仏像彫りの中年男性を目にすることになった。男性と出会った工房で、ではなく、テレビニュースの画面越しにだった。
男性の変わりぶりに、サラリーマンは口をあんぐりと開けた。
(文・マーおじさん)
~(下)に続く~