8月11日、母校の大分雄城台高の同窓会がホテル日航大分オアシスタワーで開かれた。集まったのは約250人。第1期卒業生の佐藤樹一郎知事も参加した。
毎年、卒業生が持ち回りで幹事を務め、今年は同じ20回生の仲間たちが引き受けた。私はといえば、何度も声をかけてもらい、ようやく重い腰を上げた。正直、初めはあまり気が進まなかった。
在校生のブラスバンドの演奏で懇親会が始まり、同窓会長、校長のあいさつが続く。そういえば、学校の先生の話は長かったな。そんなことを考えているうちに、全校集会の空気までよみがえってきた。
当時、ずいぶん大人に見えた先生たちも、30代そこそこだった。今思えば、若かったのだ。その年齢をとっくに追い越した自分は、あの頃の先生ほど大人になれただろうか。
そんな感慨に浸っていると、来賓の知事が登壇。同級生との思い出話を交えた挨拶は、さすがに場慣れしている。県政を担う知事も、ここでは母校の先輩だ。
乾杯後、周囲を見渡す。30年余りの歳月は、誰にもそれぞれの変化をもたらしていた。名前には覚えがある。顔にも面影がある。だが、二つを結び付けるまでに一拍の間が要る。髪形を含め、大胆なモデルチェンジを遂げた人もいる。もちろん、私も人のことは言えない。
「もしかして……」と恐る恐る声をかける。ところが、思い出すのは一瞬だった。今の顔に高校時代の面影が重なり、あっという間に懐かしい思い出話に花が咲く。
私たちが高校生活を送った1992~95年、教室の外では時代が目まぐるしく動いていた。94年には、村山富市氏が大分県出身者として初めて首相となった。トレードマークの太く長い眉と「トンちゃん」の愛称、飾らない庶民的な人柄で広く親しまれた。昨年10月、101歳で亡くなってからまだ1年足らず。あの柔和な表情は今も記憶に新しい。
卒業を目前にした95年1月、阪神・淡路大震災が発生。卒業式直後の3月には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、社会の空気は一変した。新しい時代が始まる高揚感と、世紀末へ向かうどこか得体の知れない不安。明るさと陰りが同居する中で、私たちは大人への入り口に立っていた。
現在の入学定員は1学年240人。私たちの学年は約450人の大所帯だった。学校の規模も社会も、そして私たち自身も大きく変わった。それでも、同じ校舎で同じ時代を過ごした記憶は、それぞれの中に残っている。
締めくくりは、参加者全員で肩を組んで円陣をつくり、校歌斉唱。知事も町長も、ここではかつての雄城高生。校長や元教諭も加わり、世代を超えて一つの輪になる。
正直、肩を組むのは少し気が進まなかった。ところが、32年ぶりの校歌が、なぜか自然に口をついて出てくる。隣の人と肩を組み、声を重ねているうちに、思いのほか楽しくなってきた。世代も肩書も違うけれど、同じ学校で時を過ごした仲間なのだ。歌いながら、そのつながりを感じていた。
重い腰を上げてよかった。高校生に戻ることはできない。それでも、あの頃の自分に会い直すことはできる。30年余りを巻き戻すのに必要なのは、「久しぶり」の一言だけだった。
(衛藤知愛)