歩いてつなぐ旅には終わりがない。あるところがゴールとなれば、次の旅ではそこがスタート地点になる。こうして線がつながり、自分の両脚で味わった自分だけの地図ができあがっていく。五感の記憶がセットになったグーグルマップのようなものだ。
アタマの中で、いつでも振り返ることができる。たどり直すたびに、そこで出会った風景や人々の笑顔がよみがえる。世の中の広さ、表情の豊かさを実感する。その世界が、少しずつ、着実に広がっていく。これはうれしい。
この楽しみを、日本列島だけにとどめておくこともない。自分は何歳まで生きられるか分からないが、可能であればお隣の朝鮮半島から西へ西へと行けるところまで歩いてみたいと思っている。人々と出会い、おしゃべりをし、地元の食をいただき、家屋や景色を楽しみたい。歩くというゆっくりとした自然なスピードを通して、土地土地の魅力をじっくり味わい、進む中で徐々に変化していくさまも楽しみたい。言葉や方言の変化を味わいたい。
25年ほど前の学生時代、その取っかかりとして一度海を渡った。その時の体験をつづることにする。
向かった先は、日本のお隣、韓国。その南端にある大都市で、九州との直行便もある釜山を出発点にした。釜山港で下り、入国手続きを経て、一歩を踏み入れた。マイ世界地図づくりのスタートだ。頃合いは3月。恐れていたほど寒くはなく、安心した。
下船した人々は鉄道やバスに乗り換えていくが、旅師の私は自分の両脚が乗り物になる。港からそのままテクテクを始める。何だか子ども時代の探検のようで、ワクワク感が湧いてくる。取りあえずは街の中心地にあるであろう釜山駅を目指す。そこまでの道中は正直、記憶がぼやけているが、ハングルだけでなくロシア語とおぼしき文字の看板がずらりと並んでいたように思う。エキゾチックな雰囲気を感じた。
釜山駅では、軍服姿の若者をちらほら見かけた。おそらく徴兵制で軍務に就いているか、これから任地に赴く方々だろう。少し緊張しているか、疲れているように見えた。日本ではほぼ見かけない光景だ。自分の意思とは関係なく、果たさなければいけない義務。国が違えば制度も違うし、人生設計の土台自体が変わってくることにあらためて思い至った。異国の人間ながら「ご苦労さまです」と頭を下げたくなった。
釜山駅で少し休憩した後は、首都ソウル方面を目指した。といっても、当然ながら1日ではたどり着けない。ちょびっとずつ、進んでいくしかない。さて、どんなコースでいくか。東の海岸線沿いに進むか。西回りか。はたまた、内陸を直進するか。特段の理由があったわけではないが、私は東回りを選んだ。
駅を出てから少しすると道沿いに本屋があった。スマホのない時代で、地図を買おうと立ち寄った。学生時代に少しかじったハングルを使い、「チド(地図)、ジュセヨ(ください)」と頼んだ。店主とおぼしきおじちゃんは、「テハンミングッ(大韓民国)?プサン(釜山)?」と尋ねられた。私は釜山版を求めた。支払いをし、店を出るところでおじちゃんは「アニョハセヨ」(私にはそう聞こえた)と言って送り出してくれた。
異国の地で、自分の勉強した外国語が、少しだが通じた。これはうれしかった。本屋のおじちゃんと、ちょびっとでも心が通じ合ったようにも感じた。言語を学ぶことは、人と人とが頭でも心でもつながるために大切なことだ。AI全盛時代の今でも思う。
韓国の道は、日本と違って車線が多かったと記憶する。歩道は広くなかった。車優先の社会なのだろうか。道沿いに立ち並ぶのは高層のマンション。どれも細長いのが印象的だ。地震に耐えられるのか気になるほど。それにしても、お国が違えば道も建物もさまざま違うものだ。
ヘウンデ(海雲台)という海辺のリゾート地を通り過ぎた辺りから、景色は平たんになった。集落らしき集落もない。ときどき見かける一軒家は、いずれも屋根の位置が日本よりやや低いようにみえた。昔ながらの家屋のようだ。現代韓国人の平均身長には不釣り合いといってもいいような高さだ。日本もそうだが、若い世代は大都市へと移ってしまっているということなのだろうか。その辺りで、新しい住宅を見かけた記憶はほとんどない。
1泊2日の道中、地元の人々の暮らしが伝わる光景には、残念ながら出合うことがほとんどなかった。歩いたルートがたまたま過疎地だったからなのかもしれない。ただ、日本とはちょこっと違ったご当地カルチャーを感じるシーンがあったので紹介する。
集落のない田舎道で、トンネルに差しかかった。車道を含めても狭く、しかも歩道がない。ここを歩くのは危ないと思った。このため、無理をせずトンネル区間は公共交通機関に頼らせてもらうことにした。
程なく通りかかった路線バスに乗り込むと、のどかな調子の歌謡曲が聞こえてきた。運転手のおじさんが、ラジカセを運転席の隣にポンと置いてラジオを流していた。どこか懐かしい、ゆったりとした雰囲気が車内に漂っていた。日本だと乗務規則もガチガチで、とてもじゃないが運転手がラジカセでタラリラ~とやることはないだろう。当時の韓国の、おおらかな一面をのぞいたような気がした。
そこから一展開があった。おじさんは、私のバックパック姿から外国人だと気付いたのか、やや驚いた表情を浮かべた。日頃は地元住民しか利用しないためだろうか。そして慌てた様子でラジカセを切り、居住まいを正された。帽子をかぶりなおし、ハンドルをがっしり握りしめる姿は、本業に意識を集中させようとするかのようだった。動揺させて申し訳なく思ったが、おじさんの動作の一つ一つが人間くさくて、愛着を抱いた。
もう一展開。トンネルを過ぎたところで、私はすぐに下車ボタンを押した。もう歩けるから。するとおじさんはまたまた驚いた顔をした。さっき乗った旅人が、もう降りるとな。頭の中が「?」マークだらけになっているのが分かった。おじさん、混乱させてしまって本当にすいません。ただ、私は詳細を説明する語学力もなく、ただ頭を下げて運賃を支払った。そして最短の乗り物旅を終えた。
その後、道沿いの宿で一泊し、最終的にウォルレ(月内)という小さな駅までたどり着いたところでゴールとした。次回再び韓国を訪れる機会があれば、ウォルレから出発するつもりだ。バスの運転手さんをアタフタさせるようなことは、もうないことを祈りたい。
五感でつむいでいく世界地図は、笑いも驚きもヒヤヒヤもてんこ盛りだ。同じ経験は二つとなく、恐らく再現もできない。描き続けることに、他と比べようのない醍醐味(だいごみ)を感じる。
(旅師X)