歩き旅を始めたのが学生時代だったからか、道中はなるべくテント泊をするようにしている。お金の節約になる上に、外の世界とつながっている開放感がある。
今でこそキャンプ場でしか張らないが、学生時代から20代半ばまでは無茶もした。人気のない道沿いに野っ原があったら、これ幸いとテントを張っていた。日頃の暮らしとはかけ離れた過ごし方になるためか、不思議な体験も何度かした。
西日本のとある山間地を歩いていた時のことだ。何十年も前に廃線になったらしい鉄道の駅舎跡地があり、その傍らでテントを張った。周りに人気はなく、日が暮れると静かな闇ばかりが広がった。
深夜12時ごろだったかと記憶する。テントシートを挟んで数十メートル離れた先から、規則的な反響音が聞こえてきた。
コツ、コツ、コツ
コツ、コツは少しずつテントのほうに近づいてきた。あまりに自然でリズミカルだったので、怖さはそれほど感じなかった。人だろうか。ハイヒールを履いているのかな。こんな深夜に、山間の地に、人が通りかかる不可解さには、なぜか思いが至らなかった。野宿先でいろいろ気にしていると、ろくに休めない。何があっても驚かない、受け入れる。これが野宿のコツだ。
ハイヒールさんが、テントの真横を通りかかった。
そこで、音が止まった。
ここで私も少し、戸惑った。テントに気づかれたのだろうか。驚かせたら申し訳ない。ただ、こういう時は動かないほうがいい。私はそれまでも山中の野宿でイノシシに遭遇するなど異変に接したことがあり、自分なりの対応策をとるようにしていた。下手に動かず、気配を消すに限る。
ということで、寝袋にくるまったまま、時が過ぎるのを待った。
その後、コツ、コツは再開しなかった。
やがて朝日が昇り、私は山間地の旅を続けた。
・・・
20年近くがたって、2026年1月。会社の新年会があり、私はお酒のネタ話として当時の体験を明かした。ちょうどこの歩き旅エッセーを書き始めたばかりということもあったためか、古い記憶がふとよみがえった。
自分で話しながら、音の正体が何だったのか、あらためて考え込んだ。ハイヒールさんは、テントの前で足を止めた後、どこに行かれたのだろう。どうしてあんな時間に、あんな所を歩いておられたのだろう。お化けにしてはそれほど怖さを感じさせなかったし、まったく分からないことだらけだ。
ある上司が口を開いた。
「それ、パラレルワールドかもしれんな」
パラレルワールドとは、今の世界と並行して存在する世界のことだ。SFのストーリーでたびたび登場する。例えば、私が存在する世界がある一方で、私が存在しない世界がある、といった具合だ。すっとんきょうな空想にも見えるが、現代物理学でもparallel universe(パラレルユニバース=並行宇宙)として真剣に議論されているという。
ポイントはテントを張った場所にある、と上司は言った。そこは廃線の駅舎跡だった。ちなみに、プラットホームがあった辺りだと思う。そうすると・・
そのホームが、二つの世界の境目だったのか。ハイヒールさんは、廃線が現役だった頃の世界を生きていた。そしていつもの通り、出勤された。一方、私の方は21世紀初頭の世界を暮らし、闇夜にテントを構えた。二つの世界が、時空を超えて、あそこでたまさか交わった。
「テントを張った場所がちょっとずれてたら、お前もあっちの世界に行ってたかもしれんなあ」
上司がニヤリとした。私は「またまた~」と返しながら、少しビクリとした。それと同時に、20年前の不可解な体験を解き明かすヒントが見つかり、視界が晴れたようにも感じた。
歩き旅も野宿も、日常を離れる。そのためか、時折こうした不思議を経験する。常識で考えると、そういったことはありえない。ただ、日常の目線で切りさばいてしまうのは味気がない。もったいないとも感じる。不思議を不思議のままで受け止められたら、世の中の広さ奥深さをもっと楽しめるはずだ。
サラリーマンとなり、家庭を持つ身となってからはキャンプ場以外でテントを張ることもなくなった。ただ、いろいろあった野宿経験を肥やしに、不思議も受け止める素朴な心を忘れず旅を続けていくつもりだ。
(旅師X)
~いったん休足。また歩きます~