「超能力者」ユリ・ゲラーのスプーン曲げをテレビで見たときは、びっくり仰天した。1970年代のことだ。日本に大変な超能力ブームが巻き起こり、私が住んでいた大分市鶴崎でも「カメラ店の息子が超能力で店舗のシャッターを曲げた」といううわさが広がり、わざわざ見に行った。言うほど曲がっていなかったが「カメラの兄ちゃん、超能力があるんや。すげーなー。俺も欲しいなー」と感心したものだ。
今の自分からしてみれば「酔っぱらいが蹴飛ばしたんだろう」となる。現実的すぎて、われながら夢がないなと思う。これではいけない。
さて、とにかく不思議な話が好きな小学生で、いつしかSFにハマっていった。初めて読んだSFは、近所の書店「イーヌマ」で買った「すばらしい超能力時代」という小説だった。鶴書房(出版社)のSFベストセラーズにある作品で、ほかに「学園魔女戦争」「時間砲計画」「なぞの転校生」「夕ばえ作戦」「時をかける少女」などなどを夢中で読んだ。
そんなある日。なぜそのような行動をしたのかは忘れてしまったが、小学校の校庭からフェンスを乗り越えて校外に出ようとしたことがあった。片手はフェンスの金属部分をつかんでいた。バランスを取ろうとして、もう片方の手のひらを、すぐ横に立っていた電柱に押しつけた。
その瞬間、激しく短く波打つように、体が「ブブブブブブブブーッ」と震えたのだ。体内に電気が流れたのではないかと思う。ただ、痛いとか、気絶するとか、そうした感覚ではなく、むしろ気持ち良かったのだ。試しにもう一度やってみると、同じように全身が震えた。この話はすぐに学校中に広まり、騒ぎになった。当時の大分合同新聞には載っていないと思う。
「感電」だとすれば恐ろしいことだが、こうも思った。「電流が体内に流れたことで、俺の脳に未知の力が目覚めたはずだ」
その辺の石ころを宙に浮かせようとした(サイコキネシス)。見知らぬ人に「こっち向け」と念を送った(テレパシー)。瞬間移動しようとした(テレポーテーション)。
まぁ、できるものではないが、いまだに試しにやってみることはある。やはり、できない。
しかし、私にはこんなことが起きる。まずはこれ。大分でも県外の出張先でも、ビルや駅のトイレに行こうとすると、90%以上の確率で「清掃中」の札が立っているのだ。「またかよ」と思う。要するに、いつも余裕を持ってトイレを探せということだ。
ずっと自宅にいるのに、トイレ(大)に入っているときに合わせるように宅配便が来る。結果「不在」となる。つまり、トイレに行きたくなったら宅配便が来る前兆なのだ。
行く用事もない方向になぜか行きたくなり、そこに着くと小動物が死んでいる。何度かあり、これは不思議だ。庭に埋めてあげて、手を合わせる。
テレビの生中継を見ていて嫌な予感がすると、とんでもないことが起きることがある。例えば、高校野球で勝ったのに、負けたチームの校歌が流れたり、大きな爆発事故が起きたり、といった具合だ。早い段階で予感がすれば、当事者に伝えられるかもしれない。ただし、取りあってもらえないだろう。
SF的思考で、これらは電流がもたらした「セコい超能力」だと思いたい。
(虎)