新聞15紙を購読し、独自の視点で時事問題を解説するお笑い芸人、プチ鹿島さん。現代社会は物事に対する見方が盲信か全否定かの「両極端」の傾向になっていると指摘し、多様な意見に触れられる読み比べの面白さを語った。
読者に代わって現場で取材する新聞記者を「代理人」と呼び、「使わないのはもったいない」と訴える。地域に根差した取材を展開する地元紙の役割についても持論を展開した。
プチ鹿島さんの声を紹介する。
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「半信半疑」という言葉が好きで、子どもの頃から何が本当で何がウソだろうと1人でずっと考えていた。全部を否定したらつまらないけど、全部を盲信したらカルトにつながるじゃないですか。今の世の中は両極端だと思うんですよね。
半信半疑が好きな自分の立場で言うと、新聞って面白いんです。一つのニュースをいろんな新聞が報じるけど、こんなに見解が違うのかっていう面白さに気付いた。
例えば野球観戦で一塁側に座ったら、休憩の時とかにはビジターの三塁側や、外野席に行って球場を1周してみると、観客の声援も風景も違って面白い。
新聞で言うと、「高市スタジアム」の一塁側が政権と親和性が高い読売新聞や産経新聞、三塁側が朝日新聞や毎日新聞。読売を読んだ後に朝日を読み、毎日の後に産経を読むと、すごく論調の違いを感じる。あえて違う側の意見を見ると「なるほど」と気付かされることがある。
論調の違う新聞を集めたり、スポーツ紙を読んだりして、気付けば15紙。スポーツ紙の社会面は見出しが分かりやすくて、駄じゃれも使ってうまくまとめている。一般紙を読む前に、スポーツ紙で頭をリラックスさせることが結構ある。
最近の例では、あるお笑いタレントさんが、運転免許の有効期限が切れていた。当然スポーツ紙は、本人の芸風「切れてないですよ」に絡めた見出しを持ってくるわけですよ。一般紙にはなかなかできない。
タブロイド紙や週刊誌も好きなんだけど、あれって“カロリーが高い”ので、先に一般紙を読んで「こういう事実があるんだ」と基礎体力を付けてからにしている。でないと刺激だけが入ってきて、まひしてしまうんじゃないかという危惧がある。
SNS(交流サイト)の情報は答えは早いが、いきなりカロリーの高いものを食べている感じ。しかも、どこの誰がどんな調理場で作っているか分からない。
記者が現場に行って裏付けを取って、誰かの目を通してやっと出てくる情報と、どこの誰か分からない人が刺激的な解説をして飛びつきやすいSNS。新聞の方がまっとうなんじゃないか。
一般の人は、気になることがあっても現場で思うままに取材することはできない。仕事をほっぽり出して現場には行けないじゃないですか。ちょっと現場に行っても、その日の一部を見るだけ。全部知ったと思ったら大間違い。
記者は「代理人」だと思っている。(新聞社などの)組織ジャーナリストは、私たちに代わって継続的に取材してくれる。こんな媒体、利用しない手はないじゃないか、ってよく言っているんです。
新聞を全部信じろということは一言も言ってなくて、利用すればいいじゃんということ。コスパ、タイパがとてもいい。「新聞なんかいらない」と言う人には、必ずそう反論している。
既存メディアをばかにするような「オールドメディア」という言葉がある。でもオールドに伝統や歴史が詰まっている。例えば大分合同新聞だったら140年も続いている。
本当かどうか分からないスキャンダルは報道しないというのも、伝統的なメディアの信じられるところ。(2024年の)兵庫県知事選では、告発者を引きずり下ろすため、なき者にしようとするスキャンダルがSNS上で相次いで発信され、実際に自死した。
真偽不明な情報はちゃんと線引きしてくれる。社内で誰かのチェックやいろんな会議があって、世に出すまでもないと判断してくれるのが伝統的なメディアの役割で、だから信頼できるんです。
SNSで言う「マスコミが報じない真実」って、めちゃくちゃ魅力的なフレーズ。ただ、僕はよく言うんです。それ、意味がないから報じてないだけでしょ、って。
確かにジャニーズやフジテレビの問題のように、腰が引けている部分もある。でも、それは突っ込んで批判していけばいいだけ。「もうメディアはいらない」という極端な話は本当に危険だ。
選挙の現場で与党候補者に「メディアがなくなったら、何を基に情報を判断すればいいですか」と聞いたことがある。そうしたら「政治家やお役所の発信だけを見てください。それが真実ですから」と言った。
これ、一番まずいことを言ってると思うんです。公人や権力を持つ人の発信をチェックするメディアがなくなったら、彼らはやりたい放題だ。
地方紙の役割について、感銘を受けたことを言いたい。2019年に地上配備型ミサイル防衛システム「イージス・アショア」が秋田県に配備されることが発表され、地元紙の秋田魁新報の記者は「おらが町に配備される」と、この問題を真剣に調べ始めた。
それからもうイージスアショアのことだけを調べて、とにかくこの問題の鬼になった。その結果は皆さんご存じのように、防衛省の資料のずさんさに気付いたんです。
地元紙は当り前だけど、当事者の一人でもある。全国紙はどこか人ごとで「こことここに配備される。さて国会論戦は」みたいな論調だったけど、秋田魁新報は自分ごとで、記者はそこに住んでいるわけだから「何でここに」と調べた。
つまり当事者性ですよね。読者と同じ当事者だから、自分のこととしてニュースを一緒に考えてくれる。これが地元紙のいいところだなと思った。
改めて、最近ニュースをなぜ見るのかというと、それはやっぱり、世の中には理不尽があるということを知るためだと思う。もしかしたら僕も皆さんも、自分がまだ気付いていないだけで、何らかの理不尽に襲われている可能性がある。自分のためにニュースを見ている。
一つ例を挙げたいのが、大川原化工機事件。初公判の4日前に検察が起訴を取り下げた、冤罪(えんざい)事件です。裁判にすらなっていない。
真面目にコツコツ働いていた人が外為法違反だといって連れられて、胃がんが分かっても保釈されずに亡くなっちゃう。こんな理不尽はない。いつ私たちの身に起きてもおかしくない。
公安警察を取材した記者に会って、どうやって取材したのかを聞いたら、「これと決め込んだ人の自宅を突き止めて、もう朝も晩も立ちっぱなしで、話しかける。無視されるのを1、2カ月続けてやっと、中には取材を受けてくれる人もいる」と言う。仕掛け自体は簡単だったんです。
「すごいですね」って言ったら、「もっとすごい人がいる。雪地蔵になった人もいる」って言うんですよね。季節が変わって雪が降る。警察関係者の自宅前でずっと待っていて、頭に雪が積もってもあえて払わない。そうすると向こうも観念して取材を受けてくれる。
組織ジャーナリズムというか、新聞社の記者だからできること。新聞記者は僕らの代理人。追及しなければならないことは、本当に時間をかけて一つの記事を作る。
記者が書き続けることによって、政治家やお役所の方が「自分たちがおかしなことをやったら、あいつら嗅ぎつけて書くんじゃないか」って、そう思われるだけでいい。緊張感ができて、不正を防ぐことができる。それが記者の役割なのではないか。
最後に言っておきたい。全国紙がよく「弱い人に寄り添う」って言う。でも「寄り添う」って上から目線じゃないか。
地元紙は寄り添うなどと言っている場合じゃない。自分たちの話なわけだから。本当に応援している人はたくさんいる。僕らの目となり、耳となり、頑張ってほしい。
(大分合同新聞創刊140周年記念の特別講演から抜粋)