歩くというシンプルな旅にも、いろいろと学べることがあるように感じる。道中、五感で受け取るさまざまな物事を通じて、自然の広さや自分の小ささに気づかされ、アハハと笑い出したくなることがある。
山口県北部を歩いた、このゴールデンウイークもそういう旅になった。前回でも少し触れたが、とにかく天気に悩まされた。雨はともかくとして、気まぐれに吹き暴れたり、ないだりする風に、気分も体調も見事に振り回された。
初日は、曇り空だが比較的穏やかな天気で、特段何を気にするでもなく歩みを進めることができた。トラブルもなく、日本海に面したキャンプ場に予定通りテントを張った。翌日は早朝からズンズン歩むことに決めていた。
2日目。最初の1時間ほどは、風がそこそこあるぐらいでむしろ気持ちよく、「これは最高の旅日和だぞ」と気分が沸き立った。が、間もなくその風が勢いを増してきた。前から横から、体を揺らすほどに吹き付けてくる。
今度は小雨までぱらつきだす。それも段々と強くなる。かっぱは身動きが窮屈になり汗ばむため、まずは折り畳み傘を広げたが、強風で折れそうになり、断念。かっぱで雨をかわしながら、黙々と両脚を前に出す。
眼鏡を叩きつける雨粒のせいで、視界が悪くなる。景色を楽しむどころではない。思わずうつむき加減に歩く。と、道を間違えていることに気づく。ああ、往復2キロ分の体力を無駄に消耗してしまった。今日は少しでもエネルギーを温存しておきたかったのに。もう、自分に対してだけでなく天気にまで腹が立ってくる。
この日はテントをキャンプ場に張ったまま出発していた。早い段階から、そのテントの様子が気にかかりだした。もしや、風で飛ばされてないだろうか。四方を頑丈に固定したので、よほどのことがなければ横倒しになることもないとは思うが、台風の一歩手前のような風の前で果たして生き残れるか・・
テントには、歩き旅を始めた20代の頃からつづっている旅日記も置いていた。持参したのは5冊目。ああ、大切な思い出の記録が消えてしまうのだろうか。そして何より、キャンプ場や周りのキャンパーに迷惑をかけていないだろうか。
心の中は不安やら、自分の見込みの甘さへの怒りやら、気まぐれな天気へのいら立ちやら、最低最悪な状態だった。道も間違えて体力気力消耗していたこともあり、午後2時前には最寄りの無人駅でこの日の旅を切り上げ、キャンプ場へ戻った。
もう、あのいとおしいテントを眺めることができないのだろうか。恐る恐る、張っていた木陰の辺りを、のぞいてみた。
あった。出発時と全く変わらない様子で、ピンと骨組みを張っていた。ホッとした。「何事もありませんが、何か?」。テントに口があったらそうつぶやいていそうな、頼もしい姿だった。
よく頑張った、マイテント。そのまま室内に潜り込んだ。旅日記の無事も確認し、早々と寝袋にくるまった。何もかもが無事でいてくれた幸せをかみしめ、日が暮れて腹が減るまでうつらうつらした。
最終日の3日目は、打って変わって晴天となった。前日の無人駅まで列車で向かい、旅を再開させた。そして出会ったのが、前回触れた、鳥さんたちのさえずりだ。木々を吹き抜ける涼風だ。
どこかで、思い至った。前日、あれだけの雨風があったからこそ、今日の晴天のありがたさを味わえている。そうすると、前日の雨風こそ大切な出来事だったのかもしれない。私は前日、心のうちは怒りやらいら立ちにもみくちゃにされていたが、なんとわがままで自己中心的だったことか。
自分は不惑をとうに過ぎてしまったが、惑ってばかり。成長なんかしていない。隙があれば文句をつぶやいていたりする。そこまで思い至ると、自らの小粒具合が反対に面白くなってきた。笑い出したくなった。
きつい体験があるからこそ、その後の日常のありがたさが身に染みて分かる。きつい体験も、ありがたいことなのかもしれない。これは歩き旅に限った話ではなく、人生そのものについても言えることではないかと思った。旅は人生だ。
毎回、さまざま感じたり気づかされたりしているが、どのような発見があるかは足を踏み出してみないと分からない。ただ、振り返ると何かがある。これがまた不思議なもので、飽きもせずテクテクを続けている。
(旅師X)
~いったん休足。また歩きます~