歩くことがメインの旅は、特段することも焦ることもなく、ひたすらのんびりしている。
言い換えると、時間がビヨ~ンと伸びる。
急ぐ用事もないので、急がない。急がないと、時間が止まったような感覚になる。するとどこまでも歩けるような気持ちになってくる。実際、振り返ると歩けている。この間、アタマは空っぽ。日ごろ見落としていることに気づくことも多い。
このゴールデンウイークは山口県の日本海側沿いを旅した。下関北部~長門~萩と歩いた。2泊3日で、約50キロ。20代の頃ほどは歩けていないが、運動神経ゼロの40代サラリーマンにしては頑張ったと思いたい。
今回は道中、大きなまちや集落がなく、人と擦れ違うこと自体も少なく、いつにも増して歩くことに浸ることになった。
「次の集落まで、あと5~6キロか」。人恋しくて、スマホの地図をのぞくことが度々あった。この5キロ前後というのも微妙で、荷物を背負いながら歩くと、体力がそこそこ削られる。膝はカクカクしてくる。時間にすると、1時間ちょっと。ふぅ。
かといって、旅を切り上げて大分に帰るつもりはさらさらない。この先、どんな出会いや風景が待っているか分からない。それに、歩いて疲れ切った五臓六腑(ろっぷ)に流し込む酒が楽しみだ。だから、やめられない。
ということで、いつものように歩いた。余計なことは考えない。残り何キロだとか、意識しない。そうしていると、どこかで時間を忘れた。
人にこそ擦れ違えないが、その代わり、森のあちこちにいる鳥さんたちのさえずりに気づいた。ちょうど前日は強い雨風にさらされていたためか、余計に歌声が伸び伸びしているように感じた。元気を分けてもらった。木々を吹き抜ける風も澄んでいて、心地よかった。
道ばたで静かに旅人を見守る、お地蔵さまにも目が留まった。その多さに圧倒された。足元の土台に「天保」と刻まれたお地蔵さまもいらっしゃった。江戸の昔から、旅人や住民を守ってくださっていることを知り、ありがたく感じた。あるお地蔵さまは、どの集落からも離れた寂しい峠道にたたずんでいらっしゃった。誰も見ていないので、恥ずかしがることなく拝めた。
歩いている道も、醸し出す雰囲気が土地土地で、その日、その時の天気次第で、異なることにあらためて気づいた。家屋も人も見当たらず、ひたすら物寂しさを感じさせる山あいの一本線があるかと思えば、入り江をぐるりと囲むようにくねり、その両側に並ぶ家々とともに暮らすのどかな生活道もあった。どれも味わいがあった。道の面白さをあらためて感じた。
ノビ~る時間の中で、右脚左脚をひたすら繰り返す中で、日ごろ見過ごしていることに気づいたり、思いのほか遠くまでたどり着いたりと、それなりに発見や楽しみがある。50キロの道中は、振り返るとあっという間だった。
山陰地方は人口規模が小さく、大きなまちや集落こそ少ないかもしれないが、昔からの暮らしや生活風景がたくさん残されているのではと感じる。歩くことの楽しさをあらためてかみしめさせてもらったことに感謝しつつ、今後も山陰の旅を続けたいと思っている。いずれは出雲にたどり着きたい。
集落の屋根瓦は、東に進むほど朱色に染まってきた。家並みの変化を味わうのも楽しみだ。
(旅師X)