おたくエンジニアである私は、ついにタイムマシーンを開発した。
サラリーマンをしながら、自宅でしこしこ研究を続けてウン十年。ここまで実に長かった。
ああ、感慨にふけっている暇はない。もう会社員人生も後半だ。体の元気なうちに、見たいものをこの目に焼き付けに行こう。
何を見たいかって? それは、古代の恐竜やら近未来の文明生活やら、ミーハーなネタではない。そんなのはもう、映画でお腹いっぱい見尽くした。
私が見たいのは、川柳の未来だ。
笑わば笑え。これにはちゃんと理由がある。
われわれのご先祖さまが生み出した稀代(きだい)の暇つぶし言葉遊びは、実に多くの笑いとちょっぴりの涙を生み出してきた。それは毎年表彰される「サラリーマン川柳」の秀作をみればうなずける。
「熱が出て 初めて個室 もらう父」
ちょっと前、上位にランクインした作品だ。弱い父さん、共感しかないよ。哀愁あふれて、涙がにじむ。
センチに浸るのはここぐらいまでにしよう。さて、なぜ私が川柳の未来に興味を持っているのか。それは単純だ。
あらゆる作品が「既出」になってしまう時代が、やがて来る。そのとき、この面白くも哀しい庶民文化は、生き残っているのだろうか。それが気になって仕方がないのだ。
川柳は5-7-5の17文字でできている。一つの文字枠には、五十音のどれかが入る。ざっくり言うと、50を17乗すれば(それは途方もなく多いわけではあるが)、いつか全ての作品が詠み上げられてしまう。
ああ、こんなこと考えなければよかったのだが、気にし始めるとどうにもならん。肝試しにビクビクする少年のような心境だ。ええいままよ。いってみよー
◇ ◇ ◇
さて、〇〇億兆年先の日本に着いたぞ。おお、さすが未来人の世界だ。空を大小のUFOみたいな乗り物が縦横に泳いでいる。
まあ、そんなことはいい。街頭の大型テレビでものぞいてみるか。もしこの時代にもサラリーマン川柳が生き残っているとしたら、今日が優秀作の発表のはずだ。
「さて、次のニュースです」
私のようなサラリーマンたちの聖地・東京はJR新橋駅の夜空に、特大のホログラムスタジオが浮かび上がっている。と、かわいらしい女性アナウンサーがニュース原稿を読み上げ始めた。
「サラリーマン川柳の選考会が、都内のホテルで開かれました」
おお、なんと。この時代も、生き残っていたのか。よかった…
「最優秀作、読み上げます」
私は生唾をのみ込んだ。もう、何を詠んでも過去の作品の繰り返しにすぎない。何が面白いのか。作品を聞きたいようで、聞きたくないような、複雑な気持ちだ。
「熱が出て 初めて個室 もらう父」
…よりにもよって、一番耳慣れた一句とは。はるばる億兆年先まできて、肩透かしを食らった気分だ。とほほ。
「だははは。それ、俺だよ俺」「うちもだよ」
新橋のSL広場は、しかし笑い声でどっと沸いた。よれたスーツのおっさんが夜空を見上げ、3Dスクリーンの美人アナウンサーに呼びかけた。「お姉さん、お父さんには優しくするんだよぉ」
アナウンサーはうふふと下を向いた。「そうです、ね」
おお、この時代はニュース番組も双方向なのか。面白いぞ。
そんなことは今はいいや。それにしても、どうして既出作が面白がられているんだろう。
私は隣にいた酒息も臭い中年の背広男に尋ねてみた。「これ、大昔の作品ですよ。過去の繰り返しで、何が楽しいんですかねえ」
背広男は何を間の抜けたことをとでも言わんばかりの表情で答えた。
「何が楽しいって、今こうやって聞いてて楽しくねえかよぉ、あんちゃん」
言わんとすることが分からず、私は続く言葉がなかった。
「俺たちさあ、昔を生きてるんじゃねえんだよ」
はあ…
「昔は昔、今は今。酒は酒! さて、3軒目いくぞぉ~」
背広男は千鳥足を引きずりながらガード下へと消えていった。
男の言葉はうんちくがあるようで、ないようで、私の頭はとんち問答をぶつけられた小坊主のように混乱した。
おっと、タイムマシーンの電池がヒートアップしてきた。そろそろ戻らないと。私は後ろ髪を引かれるようにマシーンに乗り込み、メーターを「202×」にセットし直した。
令和の時代と何ら変わらない新橋のネオン街に、疲れたおっさんサラリーマンたちに、そっと別れを告げた。「川柳、万歳。新橋、万歳。サラリーマン、万歳!」
◇ ◇ ◇
データが蓄積される未来というのは、なんとも息苦しいもんじゃないか。そう私は心配していた。川柳だって俳句だって、オセロだって囲碁だって、長く見れば文学や音楽さえも、既に誰かの手で生み出されたものと同じか、似通ったものにやがて収れんしていくことになる。
可能性がどんどんと狭まっていく世界で、同じことが繰り返されるばかりの世界で、僕らの子孫はどうやって生に喜びを見いだすんだろう。
疑問を解き明かしてくれる答えは、億兆年先の未来に行ってもよく分からなかった。尋ねた相手が悪かっただけなのかもしれないが、あの飲んだくれ背広男も、赤ら顔のサラリーマンたちも、なぜか意外と幸せそうだった。それにはちょっと、安心した。
よく分からないが、ひょっとしたら彼らは、過去やデータに囚(とら)われることをやめたのかもしれない。
データはデータ。過ぎ去った出来事の、単なる足跡に過ぎない。そこに命は宿っていない。一方、目の前に広がる現実には、知識やデータを超えたワクワクと感動がある。そのポテンシャルは、いつでも無限だ。
深まる霧の中を歩み続けるような息苦しさの中でたどり着いた答えが、令和風にいえば「今でしょ!」だったのだろうか。
たしかに、使い古されたクサい口説き文句だって、今この場で、くたびれたおっさんであるこの私がつぶやいたなら、ギャルの失笑を誘う軽い香辛料ぐらいにはなるかもしれない。いつでも新鮮。サムさも格別さ。
ナウくてライブな世界を、満喫しよう。
そういうこと、なんじゃろうか。
私はこれ以上考えてもいい答えが思い浮かばないように感じた。まああれだ、未来のはるか先まで川柳カルチャーはしぶとく生きながらえているということが分かっただけで、よしとしよう。
あらためて、お気に入りの作品を読み直した。
「・・個室もらう父」
やっぱり、いいなあ。
しみじみ、くるわあ。
(文・マーおじさん)
~現実を追いかける新聞記者が、空想の世界を駆け抜けます。お楽しみに~