内陸部を中心に2千棟以上の建物が被災した1975年の大分県中部地震は21日で発生から50年になる。震源地に近い地域の住民は、激しい揺れや地鳴りの記憶が今も強く刻まれている。半世紀前の「烈震」を知ってもらおうと、大分地方気象台はホームページに特設サイトを設け、いつ起きるか分からない地震への備えを呼びかけている。
「就寝中に突き上げるような衝撃で目が覚めた」。由布市庄内町直野内山の農業佐藤洋子さん(82)は被災当時を振り返る。慌てて外に避難すると、周辺の至る所が崩れているのか、ゴロゴロという音が鳴りやまなかった。自宅の前でも土砂災害が起きていた。
余震が続く中、小さい子ども3人を連れて車の中で夜を過ごした。集落は孤立状態が続き、しばらくは近所で食料を持ち寄るなどした。「元の生活に戻るまで時間がかかった。不安で怖かった」
近くの無職川野宗八さん(95)は家が傾き、ガラスが飛び散った。妻のケイさん(90)がたんすの下敷きになり、必死になって助け出した。「夜中で周囲は全く見えなかった。とにかくびっくりした」
地震後、生活道路や水路の復旧にも尽力した。「田んぼに段差ができるなど、農村集落としての被害も大きかった」と話した。
大分地方気象台によると、県内は主に庄内、湯布院、野津原、直入、九重の旧5町が被害を受けた。負傷者は22人で、このうち九重町は重傷3人を含む11人、湯布院町は6人、庄内町は5人。住宅は192棟が全半壊、2164棟が一部損壊した。
象徴的な被害は湯布院町川西にあった九重レークサイドホテル(地上4階・地下1階)だった。1階部分がつぶれ、内部も大破。利用不能となった。
「身近に大きな地震が起きたことを知ってもらい、備えてほしい」。同気象台の南海トラフ地震防災官、高浜聡さん(62)は特設ページを開設した理由をこう語る。
ページには震源や規模、被害の状況を表した地図や写真を掲載。気象台で観測した地震波形の記録には、地震計の一部が振り切れている様子も見ることができる。家具の固定や非常持ち出し袋の準備などについても記した。
高浜さんは「内陸の地震は発生から揺れが強くなるまでの間隔が短く、住宅などから逃げ遅れる恐れがある。身を守る手段の確保を日頃から心がけてほしい」と述べた。