【おおいた戦後80年】村山元首相「戦争は絶対にしちゃあいかん」 文書で経験つづる

100歳を迎えるに当たり、昨年2月に写真撮影に応じた村山富市元首相=大分市の自宅

 激動の100年を生き抜いた村山富市元首相(100)が、戦後80年の節目を迎えるに当たり、大分合同新聞の取材に文書で応じた。戦中・戦後の経験を「死んだ友人たちのことを思い、戦争なんか絶対にしちゃあいかんと心に刻んだ」と回顧し、今も戦火が続く世界情勢を悲嘆した。首相在任時に発表した「村山談話」については、アジア諸国へ信頼を広げる「未来志向」に基づくものだったと振り返った。
 村山氏は明治大に在学中の1944年、学徒出陣で徴兵検査を受け、宮崎県都城市で旧陸軍に入隊した。
 戦地へ送られることはなかったものの、米軍機の空襲をたびたび受け「機銃掃射が私たちのすぐそばをかすめたこともあった」。終戦後に大学へ復学し「多くの仲間が戦死したことを知り、本当につらかった」と明かした。
 各地の空襲で多数の市民が犠牲になったとも指摘。現在のウクライナやパレスチナ自治区ガザの情勢にも触れ、「何の罪もない一般市民が戦争に巻き込まれ、多くの女性や子どもたちの未来が奪われていることに大変心が痛む」とつづった。
 94年6月、自民、社会、新党さきがけの3党連立政権で首相に選ばれた。「この内閣でなければできないことをやろう」と、被爆者援護法の成立や水俣病問題の政治解決など、長く苦しみを強いられてきた人たちの救済に力を入れた。
 村山談話の発表は95年8月15日。戦後50年の終戦の日に合わせ、閣議決定して出した。賛否を呼んだが、後に首相になった小泉純一郎、安倍晋三両氏も、戦後60年と70年の節目に発表した談話で「痛切な反省」などの文言を踏襲した。
 村山氏は「過去の誤りを認め、謝罪と平和国家を表明することがアジアの国々への信頼拡幅につながり、それは日本のためにも必要だという未来志向に基づいている」と強調。「後々の政権に引き継がれ、アジアの国々との外交関係の礎となっていることを大変うれしく思っている」と結んだ。
 村山氏は1924(大正13)年、大分市生まれ。戦時下では「軍国少年の一人」だったという。72年の衆院選で初当選。94年6月から96年1月まで首相を務めた。

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