太平洋戦争中、ビルマ(現ミャンマー)で戦った陸軍将校が終戦直後、連合国軍の収容所で書いたとみられる手記を愛媛県の自宅に残していた。「何故に敵を研究せざるや」「科学戦への転換が遅れた」などと記し、戦争体験ではなく、敗因分析を重視。識者は「当時の将校の考えを知る貴重な資料」と評価する。
将校は陸軍大尉で終戦を迎えた山代勝敏さん。長男敏明さん(78)が2021~22年ごろ、愛媛県愛南町の自宅で母の遺品整理中に手書きのノートを見つけた。表紙に英語が印字され、「収容所で入手し、書いたものではないか」と推測する。
山代さんは南方戦線の歩兵連隊に所属し、1945年1月、ビルマに入った。手記によると、終戦後の45年9月、密林の友軍に「停戦命令」を伝える軍使の一人だった。
戦争の準備は「誠に微々たるものであつた」と記述。科学研究機関が「成功一歩前にして中止せざるを得なかつた例が多々ある」とし、米国の研究所は「自由自在に(中略)安んじて研究し得る」と述べた。日本は「総合せる科学の力に敗れたのである」とまとめた。