太平洋戦争後、旧日本軍将兵らを捕虜虐待などのBC級戦犯として裁いた横浜裁判(1945~49年)の運営に、日本人400人以上が動員されたことを示す米軍報告書が21日までに見つかった。米側を含め千人超の名簿が存在し、日本人は通訳、記録係などスタッフ約200人や、弁護士約240人が記載されていた。専門家によると、裁判運営に関与した日本人の全体像が明らかになるのは初めて。
横浜市に司令部を置き日本占領の主力となった米第8軍の法務部が49年、100ページ超の報告書を作成した。国立国会図書館が所蔵する米公文書の複写を共同通信が入手し、広島市立大広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)に分析を依頼した。
横浜裁判は300件超の事案を審理した。被告以外の全体的な名簿や弁護体制を示す基礎データは見つかっておらず、裁判の全容解明へ貴重な資料となりそうだ。
名簿はアルファベットで書かれ、日本国籍についても明記されていた。「ウスイ・アキコ」「タナカ・ヨシト」などと読み取れる。