芋焼酎を飲んで、損害保険会社で働いていた時の出来事を思い出した。あの日、待ち合わせ場所に現れた保険代理店の担当者は派手なアロハシャツを着て、頭の上にはサングラスを載せていた。地震の損害調査とはいえ、漂う空気は最初から完全にアウェーだった。
災害が起きると、損害保険会社では膨大な保険請求を処理するバックオフィスが立ち上がり、全国各地から応援が集まる。本来は2人一組で現場を回るのが鉄則だが、相棒が「熱っぽくて頭が痛いので帰ります」と朝一で戦線離脱して、丸腰で修羅場に放り出される羽目になった。
代理店の担当者と訪問先に着いた瞬間、「マジか」と思った。豪邸を囲む高い壁と重厚な門扉に監視カメラ。ピカピカに磨き上げられた黒塗りの高級車がずらりと並んでいた。
所属していた損害調査部門には、元警察官が在籍していた。一番かわいがってくれたのは、大規模署で刑事課長を務めたこわもてのおっちゃんだった。「気合の入ったお兄さん」と話すときは「相手のペースに飲まれるな。目をそらすな」などと実践的な講義を受けていた。
念仏のように教えを復唱しながら訪問。出てきた契約者のシャツからは、ちらりと鮮やかに描かれた何かが見えた。頭の中は「いかに穏便に、角を立てずに着地をさせるか」というリスクヘッジばかりだった。
「地震のお見舞いを申し上げます。適正にお支払いするため、被害をしっかり確認させてください」
部屋を一見して違和感しかなかった。倒れた家具もなければ、割れた皿の破片ひとつ落ちていない。「あれっ。ここは震度1か2の地域じゃなかったっけ」
相手は外壁の傷やへこみを指さし、「ここも揺れでバキッといったんや」と迫ってくる。ここで否定したら争いになることは確定だ。「なるほど、大変でしたね」。相手の目をじっと見据え、深く相づちを打ち、書面にチェックを入れていった。
算定の基準を説明し終えると、契約者は「気をつけて帰れよ」と見送ってくれたが、目は笑っていなかった。
会社でいきさつを報告すると、元刑事課長は腹を抱えて大笑いした。「ガハハ、もめずに相手のペースにも飲まれず、よく切り抜けたな」。その夜、行きつけという居酒屋へ連れて行ってくれた。机にドンと置かれたのは、カランと氷が鳴る芋焼酎のロック。「まあ飲め」と笑う課長とグラスを合わせて、その道のプロのすごさをかみしめた。
記者に戻って、あの日の経験が役立つこともあった。マニュアル通りにいかない「気合の入った現場」に遭遇することもある。元刑事課長からごちそうになった、芋ロックの強い香りを思い出しつつ、現場を走り回っている。(原田宏一)