【Gateインパクト】アジアパラ大会と大分のつながり

フェスピックの理念について語る中村太郎さん=大分市舞鶴町

 24日に閉幕する障害者スポーツの祭典「愛知・名古屋アジアパラ大会」は、1975年に大分県で第1回が開催されたフェスピック(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)が前身だ。太陽の家(別府市)の創設者、故・中村裕博士が提唱して始まり、2010年にアジアパラ大会へと衣替えした。各国のメダル獲得数などに注目が集まる中、中村博士の長男、太郎さん(66)=大分中村病院理事長=は「フェスピックが目指した、障害者スポーツの普及も忘れてはならない」と強調する。
 フェスピックは、アジア・太平洋地域の障害者の社会参加を目的に「ヤシの木の下でもできる大会」を理念に始まった。連盟の事務局は太陽の家に置かれ、中村博士が会長を務めた。第1回は18カ国・地域から973人が参加。3割以上が初心者で、脊髄損傷だけでなく多様な障害を持つ選手がプレーした。太郎さんによると、勝敗よりも、リハビリや福祉の側面が大きかったという。
 フェスピックは2006年マレーシア・クアラルンプール大会で終了。10年からアジアパラ大会に衣替えされると、回を重ねるごとに競技性が高まり、勝負や記録に注目が置かれるようになった。
 太郎さんは「記録を出しても注目されない時代を経て、しっかり練習して評価されたいという選手が現れてきた。リハビリからスポーツへと位置づけが変わってきた」とみる。
 若い頃から、医師として国際大会に帯同してきた太郎さんも、最初は「リハビリのための障害者スポーツ」と考えていた。それが変化したのは2000年シドニーパラリンピック。日本チームのドクターとして帯同した際、「勝つために来ている」という各国の自立した選手の姿を目の当たりにした。以来「大会の競技性を高めることで注目を浴び、選手のモチベーションも上がる」と考えるようになった。
 どうすれば障害者スポーツが社会に広がるか―。太郎さんは「ピラミッドの頂点にあるのがパラリンピック。ピークを高くしていくことで、裾野が広がっていくという考え方がある」と説明。ただ現状は「ピークを高くする方向は強まっているが、裾野はなかなか広がっていない」と感じている。日常的に楽しみ、プレーできる環境づくりにも意識を向ける必要があるという。
 今回のアジアパラ大会には45の国・地域から約4千人の選手が参加し、24日まで熱戦を繰り広げる。県内からも5人が出場する。「競技者が少ない国もあり、いろんな国の選手が参加していることが大会の意義の一つ。今後は今以上に多様な障害を持つ選手が参加する大会になることを期待している」と話した。
(渡辺美加)

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