「全ての力士にとって、武蔵丸に右を差されるのは悪夢である」
そんな格言を私が勝手に(!)作ってしまうほど、第67代横綱・武蔵丸の「右差し」は破壊力抜群の技だった。その極意を、元武蔵丸の武蔵川親方から直々に教わったので、皆さんに紹介したい。
「右差し」とは、右腕を相手力士の左脇の下に差し込むことを言う。現役力士では横綱・大の里が得意としている型である。
だが、武蔵丸の右差しは他に類を見ないほどの強烈さだった。
丸太の様な右腕を脇の下にグイッと差し込み、かいなを返す(肘を上に向けるように腕をひねる)と、相手の力士はなすすべなし。左腕がバンザイしたような格好になり、もがきながら巨漢の武蔵丸に寄り立てられて土俵を割るしかなかった。
往年の相撲ファンなら、よく見た光景であろう。若貴ブームに沸いた1990年代から2000年代初頭にかけて平成前半の角界を彩り、幕内優勝12回を数えた名力士の「必勝パターン」だった。
■想像を超えた「右差し」体験
右差しを許した力士はどんな気分だったのだろうか。武蔵丸の引退から20年余り。その技を体験できる機会が訪れようとは思っていなかった。
今から2年前の2024年10月。九州場所を前に武蔵川部屋が別府市で合宿を開き、武蔵川親方が大分合同新聞社を訪ねてきてくれた。その取材の場に私も同席したのだ。
会社の応接室で一通り取材が終わった後、思い切って頼んでみた。
「親方、ちょっと私に右差しをしてほしいんですけど、いいですか」
武蔵丸に右を差されたらどうなるのか。それを味わうチャンス(?)を逃す手はなかった。幸いにも親方は快諾してくれた。
間近で見る親方の腕は、圧巻の太さ。右四つ(互いに相手の体が正面から右側にずれる組み方。右差しをする基本姿勢)の体勢に組み、親方が右腕を私の左脇の下に差し込む。かいなを返されると、「イタタッ!」。
左腕を完全に持ち上げられて、痛みが走った。想像していたのは、脇の下に丸太を抱えさせられたような「いかんともし難いもどかしさ」だったのだが、まさか痛いとは…。何事もやってみないと分からないものだと、文字通り痛感した。
身長192センチの親方と私は20センチ以上の差があるとはいえ、もし遠慮なくやられていたら、体ごと左から浮き上がるような威力があったのではないか。恐るべし! 武蔵丸の右差し。
親方はにこやかに語った。「ただ腕を差すだけじゃないんだよ」。秘訣を教えてくれた。
(1)腕を差し込む。
(2)かいなを返して肘を高く上げる→この動作で相手の腕が上がる!
(3)肘を折りたたみ、腕時計を見るように手首を自分の顔の方に引き付ける→この動作で相手に腕を抜かれないようにロックする!!
太い腕を突っ込むだけでなく、こんな一連の動作を繰り出していたとは。特に(3)のテクニックは、現役当時に何度も右差しを見ていたけど全く気付いていなかった。
注意が必要なのは「相手の腕がすっぽ抜けないようにする」ことだという。相手の体と隙間があると腕が抜けやすくなるため、体を密着させることも大事なのだそうだ。
さらに親方は、私の右腕を取りながら動作を指導してくれた。一相撲ファンにとっては、悪夢ではなく夢のようなひととき。「武蔵丸の右差し」を堪能いたしました。
■「なぜ差せる?」2年越しの疑問を解消
ここまでが2年前の話。実は、肝心な話を聞き忘れていたことに後から気付いた。それは「なぜ武蔵丸は、相手が警戒しているのに右を差せたのか」だ。
この謎を解かなければ、技を理解したことにはならない。再び親方に聞く機会が訪れたのは今年の10月19日だった。
今回も別府合宿に合わせて来社してくれた親方。2年前と同様、応接室で一通り話をした後に尋ねてみた。「親方、武蔵丸の右差しはみんなが警戒していたはずなのに、どうやってあんなにうまく差せていたんですか」
親方はにんまりして言った。「コツがあるんだよ、これが」。そう答えた後、片手で「前にならえ」をするように、右手の指先をそろえて真っすぐ前に伸ばした。
相手が脇を締めていても、手を引かずに我慢していれば指先が入るという。「ちょっと指が入ったら、横にすればいい」。そう言いながら、手首をクルッとひねって指の並びを水平(手のひらを下向き)にした。「こうすれば(相手の脇が)空くんだ」。手先を縦から横にすることで脇の隙間をこじ開け、右腕を突っ込むのだそうだ。
他にも、相手の脇が空くタイミングがあると教えてくれた。相手が右差しを避けようと横に動けば、かえって脇に隙ができる。直接差すのが難しい場合、右手で相手の前みつ(まわしの、体の前面の部分)を取れば、相手が上手(対戦力士の腕の外側からまわしをつかむ)を取ろうとする時に脇が空く…。
「相手によって違うんだよ。頭を使わないと」。それが「必勝の右差し」の奥義だった。
■出でよ「右差し」の後継者
武蔵丸が引退したのは2003年11月。九州場所の7日目に敗れ、土俵から去る決断をした。
私が九州場所を見に行ったのは、その翌日だった。館内放送で「横綱・武蔵丸は、引退いたしました」と流れたのは、確か横綱土俵入りの前だったと思う。それを聞いた後、館内の売店に足を運んだ。「もう手に入らなくなるだろうから、何か武蔵丸グッズを買おう」と、しこ名入りの湯飲みを購入したのだった。今ももちろん家にある。
そんな武蔵丸=武蔵川親方と20年以上の時を経て縁ができたのは、振り返ってみれば全く思いがけないことだ。
親方は今回の来社で、部屋の力士たちへの期待を口にした。「一生懸命やってるよ。あと一押し。一皮むけたら上に行くんだよ」「やっぱり稽古しないと。もっと頭を使って、こういう相撲を取りたいというのを目指せば誰でも関取になれる」「いつか三役の一人か二人は出したい」―。
親方から技を受け継いで右差しを武器にした力士が、令和の土俵で大暴れする姿を見たい。武蔵川部屋の皆さん、期待しています。
(小林大輔)