男子が少女漫画を読むという発想が自分になかったことが悔やまれる。もっと早く「ベルサイユのばら」を手にしていたら、フランス革命やフランス史、ヨーロッパ史のことを知りたいという欲求に駆られていただろう。高校の社会科で世界史を選択していたので、ことさらそう思う。
「ベルサイユのばら」は、漫画家・池田理代子さんが1972年から1973年まで、週刊マーガレット(集英社)に82週にわたって連載していた。史実にフィクションを加えたストーリーを展開し、革命へと向かうフランスの混乱やその背景を描いた人間ドラマだ。
この物語の主人公は誰なのか。読んだ人それぞれに登場人物への思い入れがあるため、「オスカルでしょう」「いやいや、マリー・アントワネットとオスカルの2人だ」と、見解が分かれるところだ。
連載終了時の池田さんの後書きがマーガレットコミックスに掲載されている。そこには、オスカルとマリー・アントワネットとフェルゼンの3人を主人公として描いたことが記されている。
オスカルは架空の人物である。この人がいなければ、物語は成り立たない。3人の主人公の中でも核となる存在と言ってよい。
ジャルジェ家の娘なのだが、男として育てられ、軍人となった。厳格さの中に垣間見える乙女の姿が共感を呼び、麗しさやカッコ良さが、多くの読者をとりこにした。
物語終盤。国に反旗を翻す決断をしたオスカルに最高にシビれた。魂が震えるとはこのことだ。しかし、ようやく結ばれたアンドレがここで銃弾に倒れて死ぬとは思わなかった。そして、間もなくして勃発したバスティーユ牢獄の戦いで、オスカルまでもが死んでしまったのは、まさかの展開だった。当時、多くの読者が悲しんだに違いない。
マリー・アントワネットは言うまでもなく実在の人物だ。ハプスブルク家が支配していた隣国オーストリアから、後にルイ16世となる王太子との政略結婚のため、幼くしてフランス(ブルボン朝)にやってきた。恥ずかしながら、そのような経緯があったことや、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘だということを、この漫画を読むまで知らなかった。
性格は悪くないので、一般的に言われている悪者感は、この物語の中では感じない。生まれながらの「お姫様」であるが故の無知で、世間のことは何も知らない。ベルサイユ宮殿の常識が世の中の常識だと勘違いしていたところがマリー・アントワネットの最大の不幸ではないだろうか。
ベルサイユ宮殿の金銭感覚は異次元だ。そのカネは庶民が納めている税金なのだ。貧しい暮らしを強いられ、その日の食べ物を確保することさえままならないのに、宮殿はただカネを使いまくるだけだ。庶民の怒りと憎悪のエネルギーが爆発したのは無理もない。
スウェーデンの貴族フェルゼンも実在の人物だ。真面目で誠実でモテモテなのよ。フランス革命という重厚なテーマの中で展開するフェルゼンとマリー・アントワネットの悲恋の物語は、サイドストーリー以上の意味を持つ。
フェルゼンをはじめ、アンドレ、アラン、ジェローデルといった、主要な男性登場人物の振る舞いは見習うべきところがある。この4人の中で比較的チョイ役であるジェローデルに関して言えば、オスカルの前から去るシーンは「男の美学」である。
物語は、ある意味フランス革命の象徴とも言える断頭台(ギロチン)で幕を閉じる。国王ルイ16世の処刑は終わっていた。断頭台に立ったマリー・アントワネットの短くなった髪と、質素な白い服が風になびくシーンが印象的だ。少女のころから描かれてきたマリー・アントワネットの中で、最期のこの姿が最も美しく見えた。さようなら・・・。
池田さんは後書きの中で、この作品について「自分にとっての青春の記念碑」だと言っている。それほど情熱を注いだに違いない。「ベルサイユのばら」は、少女漫画の域を超えた物語である。(虎)