朴(パク)泰遠(テウォン) 『小説家仇(ク)甫(ボ)氏の一日』(平凡社)
ひと月余り前、ソウルの仁寺洞(インサドン)での出来事。古美術や現代アートの店が集まる洒落(しゃれ)た通りを歩き回り、古い石造美術が無造作に並べられた空き地で、ちょっと休憩と同行の友人がたばこを吸うのに付き合い、立ち話をしていると、そばで喫煙していた60代半ばと思われる韓国人男性が話しかけてきた。
「話し声が聞こえましたが、大分の方なのですね。私は先月ひと月、妻と北部九州に滞在しました。今回は別府や由布院には行かず、福岡市と久留米市にいました」
「日本語がお上手ですね。ご夫婦ともに日本語が話せるのですか」
「妻は日本文学を教える大学教授で、私も日本の大学で学んだ後、共同通信社ソウル支局に入り、記者をしました」
「私は大分合同新聞社の社員です。共同通信大分支局はうちのビルにありますよ」
互いの共通の知人の名前を確認しながら、彼は共同通信社を辞め、現在は韓国の経済紙「ヘラルド経済」でコラムを書いているという。ヘラルドも知らぬ仲ではないので驚く。名刺交換をして別れた。960万もの人が住むソウルで、こんな出会いがあるなんて。私は20年前に禁煙したけど、たばこの恩恵やねと友人と話した。
旅先の街を歩くのが好きだ。ソウルでは東大門、大学路、踏十里といった地域を朝に夕に歩き回った。歩けない距離なら地下鉄にも乗るが、それよりバスかタクシーの車窓から景色や人々を見たい。でもやはり歩くのが一番いい。ソウルでの5日間、これ以上無理というくらい歩いた。
大分に戻った翌日の合同新聞書評欄に『小説家仇甫氏の一日』が載った。評者の永山裕美氏は「小説家仇甫氏がソウルの街を歩く。昼に家を出て、夜中に家に戻るまで。ただそれだけの話なのに、不思議と印象に残る」「仇甫氏の歩調と彼の思索が重なり合う心地よいリズムがある」と書いていた。
昨日までいたソウルの余韻が覚めない今こそすぐに読みたいと、図書館に行くが新刊のためまだない。「小説家仇甫氏の一日」が入る短編小説集があったので、借りて数ページ読むがうまく作品に入り込めない。それではと書店に行くと、この本の素敵な装丁に一目ぼれした。何よりも小説「小説家仇甫氏の一日」のみで一冊が完結しているのがいい。著者の友人で詩人の李箱(イサン)による挿絵もとても印象的だ。
この作品では26歳の小説家仇甫氏が、京城とよばれた日本統治時代のソウルの街を一日中、歩き回る。その時分のソウルは今より小さな街だった。なぜ今、刊行されるのか不明だが、1930年代半ばのソウルにこんな洗練された小説があったとは。朝鮮モダニズム文学と本の帯にあるからといって、若手作家がクールな視点で書くばかりではない。冒頭と最終盤には仇甫氏の母が登場する。息子のことが心配で心配で仕方のないお母さん。独身の息子は母のことを突き放しているようで、心の底では慕っている。そんな一文で終わる。いかにも東アジア的な親子関係だよなあとホッとしながら読了した。
(児玉真路)