4月、高知県中西部にある小さな漁師町。約27年前に幼い娘2人を交通事故で失った井上保孝さん(76)と郁美さん(57)夫婦が、一軒の民家の前に立った。
「この家だったはず」。酒を飲んでトラックを運転し、事故を起こした加害者の男性の自宅だ。夫婦には直接会って聞きたいことがあった。
長い歳月を感じながら、インターフォンを押した。
井上さんは普段、仕事の都合でベトナムに住んでいる。4月上旬に帰国し、高知県内で起きた交通死亡事故の裁判を傍聴するため、来県していた。
この機会に男性宅を訪ねると決め、あらかじめ速達はがきで訪問の日時を伝えていた。しかし、玄関からの呼びかけに応答はなかった。
事故の犠牲になった長女奏子(かなこ)ちゃん(3)、次女周子(ちかこ)ちゃん(1)=いずれも当時=のことが脳裏に浮かぶ。夫婦は、かばんから便箋を取り出し、乗ってきた車のボンネットの上でペンを走らせた。
〈1996年4月1日生まれの奏子は30歳のお誕生日を迎えました。私も30歳と言えば、既に奏子と周子の親になっていた歳です。 生きていたら、2人か3人ぐらいの孫がいたかもしれないな…と思ってしまいました〉
郁美さんは便箋2枚に思いをしたため、郵便受けに入れた。
1999年11月28日。東京都内の東名高速道路で井上さん一家を襲った悲劇は「日本の交通事故史上、例を見ない痛ましい事故」と言われた。飲酒や高速度など悪質な運転に厳罰を科す「危険運転致死傷罪」が創設されるきっかけにもなった。
事故後の捜査で呼気から0・63ミリグラムという高濃度のアルコールが検出された加害者の男性=当時(55)=は、酩酊(めいてい)状態で大型トラックを運転し、4人が乗った井上さんの乗用車に追突した。
車は大破し、激しい炎に包まれた。命からがら車外に逃れた夫婦の目の前で、後部座席に取り残された娘たちが焼死した。「あちゅい」という泣き声は、今も耳を離れない。
当時、ドライバーに科すことができる刑罰は、最高で懲役5年の「業務上過失致死傷罪」のみだった。男性は公判で「二度と酒を飲みません」と誓い、懲役4年の判決を受けた。
保孝さんが男性に確認したかったことは一つだけ。それは手紙の最後に記した。
〈事故から26年がたちます。その後もお酒を断ち続けてくれていると信じています〉
× × ×
一つ一つの交通事故が、加害者と被害者を生む。家族の命を奪われた遺族にとって、加害ドライバーの存在は「法の裁き」が示された後も重くのしかかる。憎しみの対象と向き合い、苦悩する人たちの姿を追った。