【問う 時速194km交通死亡事故】許された危険④ 「命を奪う重大性に目を」悪質さの意識定着に時間

「交通事故の刑罰は故意か過失かではなく、命を奪ったという結果責任で考えるべきだ」と語る諸沢英道氏=東京都

 本来は危ない行為だが、社会的に有益なので一定の条件下で許容する―。刑法学には「許された危険」という考え方がある。
 自動車の運転は代表的なケースだ。国内で車の運転を認められた運転免許保有者は8174万人(2024年末時点)で、人口の3分の2に当たる。手軽な移動手段として日々の生活やさまざまな経済活動を支える車は、現代社会に欠かせない存在になっている。
 その半面、車の関係する事故が多くの被害者を生んでいることも事実だ。25年は全国で2547人が交通事故で亡くなり、33万8294人が重軽傷を負った。生涯にわたって後遺症に苦しむ人も少なくない。

 国交省の統計によると、国内の乗用車の保有台数は6205万台(25年3月時点)。マイカーは1960年代から急速に普及した。その頃から交通事故による死者も増え続け、70年には戦後最多の1万6765人を記録した。日清戦争での日本の戦死者数に迫る勢いから、「交通戦争」とも呼ばれた。
 長年にわたって被害者学を研究してきた元常磐大学長の諸沢英道氏(83)によると、当時、「利便性を優先する余りに、無辜(むこ)の民が危険にさらされている」といった批判が高まったという。
 「それでも、今さら車の使用を止めるわけにはいかなかった。多大な犠牲を払ったとしても、社会が車を受け入れるための理屈が必要だった」。そのために持ち出された概念が「許された危険」だったという。
 死亡事故の加害者は、刑法の業務上過失致死罪で裁かれ、当初の刑罰は3年以下の懲役だった。交通事故の多発が社会問題化していた68年に5年以下に引き上げられて以降、2001年に危険運転致死傷罪が創設されるまで、死亡事故の刑罰が重くなることはなかった。
 諸沢氏は語気を強める。「交通事故を、許された危険の中で起きた不幸と捉えてはならない。被害者側から見た結果の重大性に目を向けるべきだった」

 今では「飲んだら乗らない」が定着した飲酒運転。道路交通法で酒気帯び運転が処罰対象になったのは1970年だ。当初の罰則は軽く、「懲役3月以下、または罰金5万円以下」という水準だった。
 法定刑が引き上げられたのは、30年以上が経過した2002年と07年。いずれも何ら落ち度のない幼児が命を奪われた事故をきっかけに、世論に押された格好だった。現在の罰則は拘禁刑3年以下、または罰金50万円以下。さらに、人を死傷させれば危険運転罪(最長・拘禁刑20年)によって厳罰を受ける可能性がある。
 一方で、違反者が多く、重大事故につながる速度超過は、道交法の処罰が「拘禁刑6月以下、または罰金10万円以下」にとどまる。昨年3~12月に危険運転罪の見直しを議論した法制審議会でも刑法学者の一人が刑罰の水準に言及し、「軽すぎる面があることは否めない」と指摘した。
 「飲酒運転は悪質で、無謀で、危険だ、といった意識が国民に定着するまでに数十年単位の時間がかかった」。交通犯罪に詳しい元同志社大教授の川本哲郎氏(75)は、多くの犠牲が出るまで、遅々として法整備が進まなかった歴史を問題視している。

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