「第十二海軍航空廠春日浦工場」一部の建物現存 研究者調査で判明「戦争痕跡、広く伝えていきたい」 

第十二海軍航空廠春日浦工場の一部とみられるOSK乾椎茸流通センターと第一食糧の倉庫(左)

 【大分】戦時中、大分市春日浦地区で航空機の修理や魚雷の取り付けを担っていた「第十二海軍航空廠(しょう)春日浦工場」。県内の在野の研究者の調査で当時の一部の建物が現存していることが判明した。研究成果は9月に神戸大で開かれた海洋文化遺産シンポジウムで紹介。メンバーは「日常風景に埋もれた戦争の痕跡を広く伝えていきたい」と話している。
 調査に取り組んでいるのは「神戸大海洋文化遺産プロジェクト大分チーム」の新飼知未さん(21)と松島文子さん(51)、「春日浦工場研究グループ」の高野寿穂さん(66)、久野緑朗さん(78)、清水進正さん(81)、佐藤誠治さん(77)。それぞれが独自に戦跡などを調べてきたが、1月から情報を共有して同工場について研究している。
 メンバーによると戦時中、県内には海軍航空隊の基地が大分、宇佐、佐伯の各市にあり、大分基地は戦闘機搭乗員の教育訓練の拠点だった。第十二海軍航空廠は大分市岩田町にあり、航空機のメンテナンスや修理、戦闘機や兵器の製造を担っていた。春日浦工場に関しては国立公文書館アジア歴史資料センター(東京都)所蔵の図面しか手掛かりがなく、不明点も多かった。
 地元でも存在を知らない人が多いが、メンバーは学徒動員の手記を調べ、工場で練習機の修理や魚雷の取り付けをしていたことを突き止めた。さらに、米軍のターゲットファイル(爆撃対象の写真)や周辺企業の社史、航空写真、ドローン映像などから当時の建物の位置を特定。現地調査で同市の春日浦地区に今も並ぶ倉庫2棟が工場の一部であることが分かった。
 現在、OSK乾椎茸(しいたけ)流通センターとして利用されている建物は啓正式格納庫だったとみられ、啓正式は工期が短く移設可能な建築技術で、現存例は極めて少ないという。第一食糧の倉庫は機体工場の一部で、のこぎり屋根が当時の姿をとどめている。
 別府大文学部史学文化財学科3年の新飼さんは「全貌はまだ不明だが、貴重な歴史的建造物なのは間違いない。今後も調査を続け、保存につなげたい」と話している。

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