終戦前後に生まれた世代は、戦争の影がなお色濃く残る時代に幼少期を過ごした。児童養護施設「光の園」(別府市)の運営に携わる高松右門さん(85)と、昭和学園高(日田市)の理事長を務める草野義輔さん(77)に、自身の体験と現在の思いを聞いた。
父は日立製作所に勤めており、終戦時はインドネシアの工場に派遣されていた。敗戦後に捕虜になり、死刑という話も出ていたそうだ。現地の人と関係が良好だったため、嘆願されて帰国できたらしい。
私は終戦から2年後に生まれた。戦時中のことは直接知らないが、軍人でもない父が捕虜になった経験を聞き、戦争というものの恐ろしさを感じた。
幼少期を過ごした九重町では、進駐軍の米兵がジープやトラックで通ることがあった。米兵が配る菓子やお金を拾おうとして、母から「拾うな」と一喝されたこともある。誇りを失うなという思いからだろう。
戦争経験者から直接、臨場感のある話を聞くと、それは私たちの中に残る。ただ、本当に経験していない私たちが同じ話を子どもたちにしても、それ以上の伝え方はできない。
学園では社会科の教員として教壇に立っていた。特に世界史は、戦争の歴史を教えているようなものだ。人間は愚かなことをやってきた。繰り返さないために人間の知恵をどうやって生み出していくか。難しいが、考えていかなければならない。
くさの・よしすけ 1947年生まれ。自動車メーカー勤務を経て、79年から昭和女子高(現昭和学園高)教諭、90年から理事長。