終戦の前日も空襲があった。 佐賀関町(現大分市)は銅製錬所への爆撃で2人が死亡。町内も攻撃を受けて数人の死傷者が出た。佐伯市は西谷地区が襲われ4人が犠牲になった。 「大分県警察史」は県内の空襲について、米軍機が約250回来襲し、約85回の攻撃を受けたと記載。死者は485人に上ったという。一方、旧内務省の文書は死者564人と記す。 空襲が本格化した3月からの5カ月間、各地で大小の攻撃が繰り返された。全容は明らかでない。 (各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載しました)