九州の交通網を偵察していた米軍の飛行隊が、久大線沿いに飛来。写真撮影の任務と並行して各地で駅や列車を攻撃した。 北由布駅(現由布院駅、由布市)では、構内に積んでいたドラム缶が銃撃を受けて引火し、駅舎が炎上。2人が死亡した。 現玖珠町にある豊後森機関庫は機銃掃射を浴び、3人が亡くなった。壁面には今も弾痕が残っている。 このほか、現九重町や日田市天瀬町などでも空襲があった。 (各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載します)