【空襲の記憶】7月2日 臼杵に焼夷弾投下、民家31戸と工場2カ所全焼

戦時中に焼夷弾が投下された平清水地区(手前)から門前地区(奥)=臼杵市福良

 臼杵町(現臼杵市)の平清水地区から門前地区にかけて、未明に焼夷(しょうい)弾が投下された。「大分県警察史」によると、民家31戸、工場2カ所が全焼した。
 米軍の記録では、山口県下関市の空襲で出撃した大型爆撃機B29のうち2機が、臼杵に計約3トンの爆弾を落とした。
 大分県内は5月下旬以降、米軍機の散発的な飛来・攻撃はあったものの、本格的な空襲は受けていなかった。梅雨明けを迎える7月半ばから再び激しさを増していく。
 (各種資料を基に、1945年の県内の空襲被害を掲載します)

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