危険運転致死傷罪の在り方を見直す法制審議会で中心的なテーマになっている「数値基準」。新しい法としての枠組みを議論した2001年を含め、過去5度開かれた法制審では、車の速度や運転手のアルコール濃度といった指標が設けられることはなかった。
悪質なドライバーに厳罰を科すことを期待された危険運転罪は今、「扱いにくい法律」という厳しい評価も受ける。
「制御困難な」高速度、「正常な運転が困難な」飲酒運転、「ことさらに」赤信号無視―といった抽象的な条文は、結果として、捜査機関の立証のハードルを高め、遺族の理解も得にくい現状を招いた。
なぜ、「数値」は最初から導入されなかったのだろうか。
法務省刑事局長として法の制定に関わった古田佑紀さん(東京都)は生前、大分合同新聞の取材にこう答えた。
「当時も検討はしたが、数値での線引きは難しいと判断した。ただ、過去の暴走事故は何キロくらいで起きているのかの基礎データをそろえるなど、議論を詰めておけばよかったという気持ちもある」
2001年の夏。危険運転罪の創設に向けた法制審刑事法部会が開かれた。委員に提示された法案の骨子は、古田さんの指揮で作成したものだった。苦心の末、「進行を制御することが困難な著しい高速度」「アルコールの影響で正常な運転が困難」といった条文を練り上げていた。
議事録には、発言者の名前はないものの、想定される処罰対象を確認する質問が相次いでいる。高速度に関しては、「スピード超過の程度」を巡るやりとりが残されていた。
「無謀なスピードは、時速100キロなど形式的に決めることではない」「時速50キロでも道幅の狭い道路だったら制御は難しい」
事故の要因は複合的で、速度超過だけでなく、脇見や信号の見落とし、相手側の安全不確認などが絡むケースも少なくない。車の性能や道路の形状によっても危険性は異なる、といった指摘だった。
古田さんは「高速道と一般道では危険な速度が異なる以上、(単純な)数値で表すのは無理だった」と当時の議論を振り返った。仮に基準を作っても「1キロでも下回れば適用できなくなるという問題があった」。
「制御困難とは具体的にどういう事態か」と条文の不明確さを突いた意見もあったが、法制審は、複雑な事例でも柔軟に運用できることを重視。高速度から「著しい」という部分を外す変更はあったが、おおむね原案に沿って解釈の余地を残した表現で決着した。
01年12月に危険運転致死傷罪が施行されてから23年半がたった。
三重県津市の時速146キロ5人死傷事故(18年12月)では、危険運転罪の適用を否定する司法判断が確定。大分市の時速194キロ死亡事故(21年2月)は検察が当初、危険運転罪の起訴を見送った。
常識外れの猛スピード事故を取りこぼしかねない実態。古田さんは言葉を選びながら、「今の危険運転致死傷罪は率直に言って、立法当時の感覚からすると、いささか狭くなっている」と心境を明かした。
「悪質さを罰する」という法に込めた狙いは、当初の思惑とはかけ離れていった。法改正の行方を気にかけながら、古田さんは今年3月、病気のため82歳で亡くなった。