【空襲の記憶】4月21日 学徒動員18人犠牲…大分上野丘高生徒が慰霊像清掃

慰霊像を磨く大分上野丘高の生徒たち=17日、大分市上野丘の同高

 太平洋戦争末期の1945年4月21日、大分市にあった軍直轄の工場「第12海軍航空廠(しょう)」に空襲があり、学徒動員で働いていた大分中(現・大分上野丘高)の生徒18人が亡くなった。今月17日、犠牲者を追悼する慰霊像を同高の生徒たちが清掃した。悲劇から間もなく80年。「この学校に通う者として知っておかなければならない出来事。受け継いでいきたい」と誓った。
 同航空廠には戦時中、中学校や商業・工業学校、高等女学校から多数の生徒が動員され、軍用機の修理などに従事していた。
 空襲で死亡したのは大分中3年生。現在の大分市岩田町にあった第3工場で、白昼に単機で飛来した米大型爆撃機B29の爆弾投下により命を絶たれた。航空廠の工員を含めて70人余りが亡くなったとされる。
 慰霊像は68年4月、大分市上野丘の同高の正門近くに建てられた。18人と、45年3月に爆弾を輸送中のトラックの事故で死亡した1人を合わせた生徒19人の名前を記している。
 同高は毎年この時期に像と周囲の清掃をしている。この日はボランティア活動に取り組む各クラスの福祉委員と生徒会、有志の計107人が集まった。スポンジで像を丁寧に磨き、周りの枯れ草を集めた。
 3年生の林結子さん(17)は「戦争のことは知らない世代だが、自分たちが受け継がなければと思っている」。百崎大洋(たいよう)さん(17)は「受け身で話を聞くだけでなく、このような活動を通して自分たちも行動することができる。記憶を継承したい」と話した。
 特別活動主任の軸丸耕平教諭(46)は「この事実を風化させないことが目的。関係者の高齢化が進む中で、現役生が思いをくみ、守っていかなければ」と強調した。

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