時速194キロ死亡事故の遺族「事故は加害者と被害者の一生を奪う」 大分県庁で講演

講演をする長文恵さん(右手前)=2日、県庁

 「事故は加害者と被害者の一生を奪う」。2021年2月に大分市で起きた時速194キロ交通死亡事故の被害者遺族、長(おさ)文恵さん(59)が2日、県庁で講演した。県内で話をするのは初めて。弟の小柳憲さん=当時(50)=を亡くした喪失感、危険運転致死罪に翻弄(ほんろう)された苦しみ、事故ゼロへの願い―。「弟が事故死するまで人ごとだった。被害者になって知った思いがあった」と語った。
 事故は21年2月9日深夜に発生した。憲さんは事故の衝撃でシートベルトがちぎれて車外に放り出され、路上にたたきつけられていた。長崎県の離島に住む長さんに家族から知らせが来たのは翌10日午前1時ごろ。既に憲さんは搬送先の病院で息を引き取っていた。
 先に対面した母や妹から電話で「遺体をどうしよう」と相談され、長さんは「もう遺体と呼ばれているのだな」と、絶望感でいっぱいになった。
 10日昼過ぎ、大分に帰り着きひつぎの中の弟と対面した。眠っているようにきれいな顔だったが、首から下はシートにくるまれ、浴衣を羽織っていた。「火葬されたら二度と顔を見ることができない」と思い、記憶にとどめておこうと見つめ続けた。「気付けば弟のまつげを数えていて、一本一本がいとおしく思えた」
 大分県警は、当時19歳だった加害者の男を危険運転致死容疑(最高刑が懲役20年)で書類送検したものの、大分地検は過失運転致死罪(同7年)で起訴した。
 当時の担当検事は「危険運転致死罪を立証できない」などと説明した。長さんは「法定速度の3倍以上が過失なんて許せない。検事を加害者よりも憎く感じていたと思う」と振り返る。
 報道がきっかけでつながった各地の遺族と署名活動を展開し、悔しい思いを社会に訴え続けた。
 その後、地検は危険運転致死罪に変更する異例の判断を下す。一審大分地裁も昨年11月、同罪を認定し、男に有罪判決を言い渡した(福岡高裁に控訴中)。
 事故から4年が過ぎた。遺族が法の壁に挑むことは簡単ではなかった。長さんは「身も心も疲弊した。遺族の仲間に支えられなければ、心が壊れていたかもしれない」と明かした。
 事故現場となった大分市沿岸部の通称「40メートル道路」では、今も猛スピードで通行する車が目立つという。
 「大きく報道されても、多くの人にとっては人ごとなのだろうと思う。事故を起こせば一生を失い、残された家族の平穏な暮らしをも奪うことを知ってほしい」と締めくくった。
 講演は「生命(いのち)のメッセージ展inおおいた2025」の一環。約70人が来場した。

<メモ>
 事故は2021年2月9日午後11時ごろ、大分市大在の一般道(法定速度60キロ)で発生した。当時19歳だった男(23)=同市=が乗用車を時速194キロで走らせ、交差点を右折してきた乗用車に激突。運転していた同市坂ノ市南、会社員小柳憲さん=当時(50)=を死亡させた。大分地裁は昨年11月、危険運転致死罪で男に懲役8年の判決を下した。検察側と被告側の双方が福岡高裁に控訴している。大分の事故などが契機となり、法務省は危険運転致死罪の適用要件を明確にする法改正を検討している。

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