体制に牙をむくその男の姿に憧れた。どうしようもない不安感や劣等感に悩み、大人たちに反抗心を抱きながらも、外づらは「善い高校生」でいた思春期。そんな自分に取って代わり、うっ積したエネルギーを吐き出してくれているかのように映っていたのかもしれない。
男は「虎ハンター」の異名をとる元プロレスラーの小林邦昭さん。9日、がんのため亡くなった。享年68。若すぎる死が残念でならない。(以下、敬称略)
1980年代の新日本プロレスはスーパーヒーローのタイガーマスク(初代・佐山聡)がジュニアヘビー級(体重100キロ未満の階級)のトップで活躍し、人気絶頂。空前のプロレスブームが到来していた。そのタイガーマスクの宿命のライバルが小林邦昭だ。マット界では憎まれ役、悪役を「ヒール」と呼ぶ。メキシコでの武者修行から帰国した小林はタイガーマスクを目の敵にし、散々苦しめた。覆面レスラーの「命」ともいえるマスクを破る暴挙が幾度も繰り返され、タイガーマスクファンは激怒し、フラストレーションをためた。逆に反体制派のファンは、「正義は勝つ」という既定路線をぶち壊す小林のファイトにロマンを感じていた。長州力率いる「革命軍」(後の維新軍)に入り、小林人気もうなぎ上りとなる。
「ヒール」とはいえ、レスラーの基礎はしっかりしており、華麗な技も人気のゆえんだ。例えば「フィッシャーマンズスープレックスホールド」(向かい合った相手の首と脚を両腕で固め、後方に反り投げしたままブリッジで押さえ込む技)は、高確率でマットに沈める必殺技だ。攻守を逆転させるマーシャルアーツスタイルの回し蹴りも破壊力抜群だった。
主戦場を新日本プロレスから全日本プロレスに移した後は、2代目タイガーマスク(三沢光晴)の宿敵に。ここでも「虎ハンター」健在である。1985年6月、2代目タイガーマスク対小林邦昭の選手権試合を日本武道館でナマで観戦した。新技のタイガースープレックス85(背後から両腕で首と脇を固め、後方に反り投げでしてブリッジで押さえ込む技)を食らった小林は、負けて王座から陥落してしまったが、素晴らしい激闘に感動した。
その後、再び新日本プロレスに復帰。相変わらずの反骨精神で「反選手会同盟」「平成維震軍(いしんぐん)」で正統派レスラーや空手家軍団を血祭りに上げた。2000年に引退した後は、新日本プロレスの道場で若手の指導や生活面での世話をしていた。(以下、敬称復活)。
■ ■ ■ ■
2015年、東京・銀座で小林さんと酒を飲む機会があった。初めてのことで緊張したが、憧れのレスラーであったことや、記憶に残る試合の話をさせてもらった。飲み会に持って行った大分合同新聞を差し上げた。広げて読んでもらい、その様子をカメラでパチリ。ダンディーで、とても気さく。Tシャツの袖は太い腕でパンパン。終始笑顔の心優しき男だった。
さらば「虎ハンター」。合掌。
(大分合同新聞社編集局長・下川宏樹)