旧日本陸軍の毒ガス製造工場があった広島県竹原市の大久野島で30日、毒ガスの後遺症で亡くなった工員らの慰霊式が開かれた。大雨がテントの屋根に打ち付ける中、遺族ら約90人が参列し献花。「生物・化学兵器の非人道性や戦争の悲惨さを広く世界に訴え続けなければいけない」との平和宣言が読み上げられ、二度と繰り返さないよう決意を新たにした。
式は周辺の市町などでつくる大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会が主催し、今年で40回目。死没者名簿には昨年8月~今年7月末に亡くなった80人が加えられ、計4573人となった。
協議会の伊勢本学さん(90)=竹原市=は、工場で働いた父崇一さんを肺がんで亡くした。工員や遺族の高齢化も進み「知っている人はほとんどいなくなった。できるだけ(式を)やっていきたい。毒ガスを作ることが二度とないように」と語った。
大久野島毒ガス資料館によると、1929年に旧日本陸軍による毒ガス製造が始まり、軍事機密として当時の地図から消された。工員や動員学徒ら約6千人が働き、慢性気管支炎などの後遺症を患った。